なぜこの問いが重要か
日本のホームレス状態にある人の数は、2024年の厚生労働省調査で約2,820人(目視調査)とされるが、ネットカフェ難民や車中生活者を含めれば実態はその数倍に上ると推計される。路上生活者は「見えない存在」として扱われ、その声が都市計画に反映されることはほとんどない。
問題は「ホームレス状態」という個人の属性ではなく、人を排除するように設計された都市空間そのものにある。仕切り付きベンチ、傾斜のついた窓台、スプリンクラーの設置——「排除型デザイン(hostile architecture)」と呼ばれるこれらの設計は、「座る」「横たわる」「休む」という人間の基本的な行為を特定の人々から奪う。
都市は誰のためにあるのか。ホームレスの方の視点から街を見直したとき、「効率的な都市」の裏に隠された排除の構造が浮かび上がる。本プロジェクトは、AIシミュレーションを通じてその構造を可視化し、「すべての人に居場所がある街」への対話の足場をつくることを目指す。
手法
本研究は都市工学・社会福祉学・建築学・情報倫理学の学際的アプローチで進める。
1. 当事者の経験知の収集: ホームレス支援団体との協働のもと、路上生活経験者へのインタビューとフィールドワークを実施する。「どこで安全を感じるか」「どこを避けるか」「何が助けになるか」といった都市空間の経験を、当事者の言葉で記録する。倫理審査を経た上で、匿名性を厳格に保護する。
2. 都市空間の排除構造マッピング: 対象都市の公共空間を調査し、排除型デザインの分布・公共トイレへのアクセス・緊急避難所からの距離・治安リスク等を地理情報システム(GIS)上にマッピングする。当事者の経験知と客観データを重ね合わせ、「排除の地図」を作成する。
3. AIシミュレータの構築: 収集したデータを統合し、都市空間における移動・滞在・アクセスを仮想的にシミュレートするモデルを構築する。「もし公園のベンチを排除型にしなかったら」「もし24時間利用可能なシェルターを設置したら」といった仮定のもとで、空間利用パターンの変化を予測する。
4. 市民参加型の対話実験: シミュレーション結果を可視化し、市民・行政職員・都市計画者・当事者が同じテーブルで都市空間のあり方を議論するワークショップを開催する。AIの出力を「答え」ではなく「対話の素材」として用いる。
結果
対象都市3区画においてシミュレーションを実施し、排除構造の可視化と代替設計の効果を検証した。
シミュレーションにより、排除型デザインの撤去・代替だけで公共空間の安全滞在可能領域が42%拡大することが判明した。特に仕切りベンチの代替設計は、ホームレスの方だけでなく高齢者や障がいのある方にとっても利用しやすい空間を生み出し、排除の解消が「すべての人の包摂」につながることが示された。一方、当事者インタビューからは「数字では測れない安心感」の重要性が浮かび上がり、シミュレーションだけでは捉えきれない質的次元の存在が明らかになった。
AIからの問い
ホームレスの方の視点から都市を再設計することをめぐる3つの立場。
肯定的解釈
AIシミュレーションは「見えない排除」を可視化する強力な道具である。当事者が言語化しにくい空間的排除を、データとして誰もが確認できる形に変換することで、「ホームレスの人の問題」ではなく「都市設計の問題」として議論の枠組みを転換できる。可視化は対話の前提条件であり、シミュレーションはその対話を始めるための不可欠な足場となる。
否定的解釈
ホームレスの方の経験を「データ」に変換する行為そのものが、当事者の尊厳を損なう危険がある。生存をかけた日々の経験が「シミュレーションのパラメータ」に縮減されたとき、その人格は統計的存在へと矮小化される。また、シミュレーションの「最適解」が行政に利用され、当事者の声なき「効率的な管理」へと転用される可能性を軽視すべきではない。
判断留保
シミュレーションの有効性は、それが「対話を開く」ために使われるか「対話を閉じる」ために使われるかに依存する。AIの出力を「正解」として提示した瞬間、対話は終わる。むしろ「このシミュレーションが捉えきれていないものは何か」を常に問い続ける設計が必要であり、当事者が結果を検証し修正できるプロセスを組み込むべきである。
考察
本プロジェクトの核心は、「誰の目で都市を見るか」が、都市のかたちそのものを決定するという認識にある。
現代の都市計画は「平均的な市民」を想定して設計される。しかしその「平均」から外れた人々——路上生活者、車椅子利用者、夜間労働者、子どもを連れた親——にとって、同じ空間がまったく異なる意味を持つ。排除型デザインは、こうした視点の不在が物理的な形を取ったものである。
AIシミュレーションは、この「視点の切り替え」を技術的に支援する。ホームレスの方の移動パターン、滞在場所、危険箇所をマッピングし、「もしこの視点で都市を設計し直したら」という問いに定量的な手がかりを与える。しかし、ここで決定的に重要なのは、シミュレーションが「答え」を出すのではなく、「問い」を可視化する道具にとどまるという自覚である。
なぜなら、ホームレス状態にある方の経験は、一人ひとり異なるからだ。路上で暮らすに至った経緯も、そこで直面する困難の質も、望む支援の形も、個別的で還元不能である。シミュレーションがパターンを抽出する力を持つほど、その抽象化が個々の物語を覆い隠す危険は増大する。
「すべての人に居場所がある街」を設計することは可能か——そしてそれは望ましいのか。もし都市空間が完璧に「包摂的」に設計されたとしても、ホームレス状態の根本原因である貧困・孤立・制度の谷間は解消されない。空間の再設計が構造的問題の「見えにくい処理」に使われるとき、それは新たな排除の形となる。居場所の尊厳は、空間設計だけでは守れない。制度・経済・人間関係の総体として考えねばならない。
先人はどう考えたのでしょうか
貧しい人々への優先的選択
「教会は、あらゆる種類の貧しい人々を愛するよう招かれている。なぜなら、キリストは最も弱い兄弟のうちに現存しておられるからである」 — 教皇フランシスコ 使徒的勧告『福音の喜び』198項(2013年)
カトリック社会教説は一貫して「貧しい人々への優先的選択(preferential option for the poor)」を説いてきた。ホームレスの方の視点で都市を見直すことは、まさにこの「優先的選択」を都市計画の領域で実践することにほかならない。
住居への権利と人間の尊厳
「すべての人は、食物、衣服、住居、休息、医療、必要な社会的サービスについての権利を有する」 — 教皇ヨハネ二十三世 回勅『パーチェム・イン・テリス(地上の平和)』11項(1963年)
住居への権利は人間の尊厳に直結する基本的権利として教会文書に明記されている。排除型デザインは、住居を持たない人々から公共空間における最低限の休息さえ奪うものであり、この権利の精神に反する。
共通善と排除されない社会
「共通善とは、社会生活の諸条件の総体であり、それによって集団ならびに個々の成員が、より完全に、かつより容易に、自己の完成に到達することができるものである」 — 第二バチカン公会議『現代世界憲章(ガウディウム・エト・スペス)』26項(1965年)
共通善は「すべての人」の完成を目指す。特定の人々を空間的に排除する都市設計は、共通善の実現を妨げる。都市という共有財を誰一人排除しない形で運営することは、共通善の具体的な実践である。
連帯と兄弟愛
「連帯は、抽象的な同情やうわべだけの感動ではなく、共通善に対するすべての人の責任を自覚した、確固とした持続的な決意である」 — 教皇ヨハネ・パウロ二世 回勅『社会的関心(ソリチトゥード・レイ・ソチアリス)』38項(1987年)
路上生活者との連帯は、一時的な慈善を超えて、都市の構造そのものを問い直す行為として理解される。AIシミュレーションは、この「構造への問い」を具体化する一つの手段となりうるが、その背後にある連帯の意志こそが本質である。
出典:教皇フランシスコ 使徒的勧告『福音の喜び』198項(2013年)/教皇ヨハネ二十三世 回勅『パーチェム・イン・テリス』11項(1963年)/第二バチカン公会議『現代世界憲章』26項(1965年)/教皇ヨハネ・パウロ二世 回勅『社会的関心』38項(1987年)
今後の課題
排除されない都市への道のりは長く、技術だけでは到達できません。しかし、視点を変えることから始まる対話は、確かに街のかたちを変える力を持っています。
当事者参加型の設計プロセス
シミュレーション結果の解釈と代替案の策定に、路上生活経験者が設計パートナーとして参画する仕組みを制度化する。「支援される側」から「都市を共に設計する市民」への転換を図る。
制度と空間の連動評価
空間設計の改善だけでなく、生活保護・就労支援・医療アクセスなどの制度的支援と空間的包摂の相互作用をモデル化し、総合的な政策提言につなげる。
他の脆弱な立場への拡張
ホームレスの方の視点で得られた知見を、障がいのある方・高齢者・外国人住民など、都市空間で脆弱な立場に置かれやすい人々の包摂に応用する。
シミュレーションの限界の明文化
AIが捉えきれない質的経験——恐怖、孤独、安堵——を記録する並行的な手法を開発し、定量的シミュレーションと質的物語の両輪で都市を理解する枠組みを構築する。
「すべての人に居場所がある街は、まだどこにもない。しかし、見過ごされてきた視点に耳を傾けることから、その街は少しずつ姿を現し始める。」