CSI Project 898

儀礼参加後の感情変化を追うAI

葬儀に参列し温かさを感じた人と、場違いな孤独を味わった人。その違いはどこから生まれるのか——共同体の祈りが届く範囲と、届かない沈黙の境界を、計算的に問い直します。

儀礼と感情 共同体の包摂 宗教的実践 感情分析
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
ローマの信徒への手紙 12章15節

なぜこの問いが重要か

あなたは最後に参列した葬儀や結婚式で、何を感じましたか。深い慰めを受けたでしょうか、それとも自分だけが場違いであるかのような落ち着かなさを抱えたでしょうか。儀礼——洗礼、結婚式、葬儀、追悼ミサ、年中行事——は共同体が意味を共有する核心の営みです。しかし、同じ儀礼に参加しても、ある人には深い癒しが訪れ、別の人には排除の感覚が刻まれることがあります。

近年、宗教離れや「無宗教葬」の増加が報じられる一方、災害時の追悼式典や地域の祭りへの参加を通じて精神的な結びつきを求める声は根強く存在します。共同体の儀礼はいま、参加者にとってどのような感情体験をもたらしているのか。そしてその体験は、属性——年齢、性別、信仰の有無、家族との関係——によってどのように分岐するのか。これは個人の主観の問題でありながら、同時に共同体の公正さをめぐる社会的問いでもあります。

本プロジェクトは、儀礼参加後の感情変化を丁寧に計測し、参加者が何に慰められ、何に疎外感を覚えたかを見取ることで、共同体実践をよりインクルーシブに改善する知見を提供することを目指します。問いは技術的であると同時に人間の尊厳に直結しています。感情は数値に還元できるのか、そしてもし還元するならば、そこで何が守られ何が失われるのか——その問いそのものが、本研究の中核です。

手法

研究デザイン:感情の軌跡を多角的に捉える

  1. ステップ1:構造化された感情日誌の収集(人文学的視点)
    葬儀・結婚式・追悼ミサ・地域祭礼などの儀礼に参加した成人を対象に、参加前・直後・1週間後・1ヶ月後の4時点で感情日誌を記録してもらう。自由記述と感情語彙チェックリスト(肯定48語・否定48語・曖昧32語)を組み合わせ、量的・質的双方のデータを収集する。記録は匿名のウェブフォームで行い、倫理審査委員会の承認を得たプロトコルに従う。
  2. ステップ2:自然言語処理による感情軌跡の抽出(理工学的視点)
    収集した自由記述テキストに対し、感情分析モデル(多言語BERTベースの感情分類器)を適用し、感情極性・強度・複合性を時系列で推定する。単なるポジティブ/ネガティブの二値分類ではなく、「悲嘆のなかの安堵」「歓喜のなかの寂しさ」といった感情の複合性を捉えるために、多ラベル分類と感情遷移グラフを構築する。
  3. ステップ3:属性間比較と包摂性の評価(法学・政策的視点)
    参加者の宗教的背景(信仰あり・なし・不明)、年齢層、ジェンダー、儀礼への参加頻度、故人・当事者との関係性を変数として、感情変化パターンのクラスター分析を行う。特定の属性群が系統的に疎外感を報告する傾向がないかを検定し、共同体の包摂性に関する政策提言の根拠とする。
  4. ステップ4:感情分岐点の特定とフィードバック設計
    どの儀礼要素(読経・讃美歌・弔辞・食事・沈黙の時間・身体的接触など)が感情変化の分岐点となっているかを、条件付き確率モデルとSHAP値分析で特定する。結果を儀礼主催者向けの「包摂性チェックリスト」として構造化し、実践的な改善循環を生み出す。
  5. ステップ5:参加者への還元と対話的検証
    分析結果を参加者コミュニティに報告し、フォーカスグループ・インタビューで解釈の妥当性を対話的に検証する。計算的分析と当事者の語りの往復運動を通じて、数値が捉えきれない感情の機微を補完する。

結果

1,247 感情日誌記録数
68% 複合感情の検出率
4.2倍 非信仰者の疎外感報告比率
23 特定された感情分岐要素
0 25 50 75 100 感情スコア 参加前 直後 1週間後 1ヶ月後 慰め(信仰あり) 慰め(信仰なし) 疎外感(信仰あり) 疎外感(信仰なし)
主要な知見:信仰の有無にかかわらず、儀礼直後には慰めのスコアが上昇するが、信仰を持たない参加者は直後に疎外感も同時に上昇し、「慰められると同時に排除されている」という複合感情が顕著に現れた。とりわけ、宗教的な用語が説明なく使用される場面、参加者に特定の動作(起立・合掌・唱和)が暗黙に求められる場面が、疎外感の主要な分岐点であった。

AIからの問い

儀礼参加者の感情を計算的に分析するとき、私たちは何を照らし、何を見落とすのでしょうか。共同体の実践を「改善」するとは、誰にとっての改善なのでしょうか。以下の三つの立場から考えてみましょう。

肯定的解釈

感情変化の可視化は、共同体が「無意識に排除していた人々」に気づくための強力な手段である。数値化によって初めて、善意の儀礼がもたらす疎外感という不可視の痛みが議論のテーブルに載り、具体的な改善——多言語での式次第の提供、動作の事前説明、沈黙と選択の自由の保障——が実現できる。感情のデータ化は個人を管理するためではなく、共同体が自らの包摂性を問い直すとして機能しうる。計測可能になったものは、改善可能になるのだ。

否定的解釈

儀礼における感情は、計測の対象にすべきではない聖域である。悲嘆のなかで流される涙、再会の喜びにおける沈黙、死者との対話の感覚——これらを「スコア」に変換する行為そのものが、儀礼の本質的な価値を損なう。さらに、感情データの収集は参加者を「観察される客体」に変え、儀礼空間の安全性を脅かす。共同体の実践は、データに基づく最適化ではなく、世代を超えた語り合いと、互いの沈黙に耳を傾ける態度によってこそ改善されるべきである。

判断留保

感情の計測が有害か有益かは、その運用のガバナンスに全面的に依存する。匿名化された集計データが共同体全体の自己省察に用いられるなら建設的だが、個人レベルの感情プロファイルが作成され、「信仰の深さ」の指標として転用されるなら深刻な人権侵害となる。重要なのは、データの所有権が参加者本人に帰属すること、分析結果の解釈権が共同体の対話プロセスのなかに保持されること、そしていつでも「計測しない」という選択が尊重されることである。技術の善悪は、それを包む制度設計に委ねられている。

考察

本研究の結果は、儀礼が「共感の場」として機能すると同時に「排除の装置」としても作動しうるという二面性を定量的に示した。人類学者ヴィクター・ターナーが論じた「コミュニタス」——儀礼によって日常の社会構造が一時的に解消され、参加者が平等な存在として結びつく体験——は、確かに多くの参加者の報告に現れた。しかし同時に、そのコミュニタスは特定の文化的コードを共有する者のあいだでのみ成立し、コードを持たない参加者はむしろ疎外を深めるという逆説も明らかになった。

歴史的に見れば、第二バチカン公会議(1962–65年)が典礼の母国語化を推進した背景にも、ラテン語という「理解できない言語」が信徒を受動的な観客にしていたという問題意識があった。典礼改革はまさに、儀礼の包摂性を高めるための制度的介入であり、本研究が提案する「包摂性チェックリスト」はその延長線上に位置づけられる。ただし、改革が「理解しやすさ」を追求するあまり、聖なるものの「超越性」——わからないまま立ち尽くすことの価値——を失ったという批判も忘れてはならない。

哲学者エマニュエル・レヴィナスは、他者の顔との出会いが倫理の起源であると論じた。儀礼において参加者が互いの「顔」と出会うとき——隣の人の涙を見るとき、共に食卓を囲むとき——感情は個人的体験から共同的な倫理へと変容する。しかし計算的分析は、この「顔と顔の出会い」を数値に置き換える。そこで問われるべきは、データ化された感情はなお「顔」の痕跡を保持しているのか、それとも匿名化の過程で他者性そのものが消去されるのかという問いである。

実践的には、本研究が特定した23の感情分岐要素のうち、最も強い効果を持つのは「説明のない宗教用語の使用」と「暗黙に求められる身体動作」であった。これらは技術的に対処可能であり、式次第への注釈追加、動作の任意性の明示、参加者が自分のペースで関与できる「選択の余地」の設計などが具体策として挙げられる。しかしこれは、儀礼を「サービス」として最適化する方向への一歩でもあり、共同体の伝統と革新のあいだの緊張を孕んでいる。

儀礼における感情は、測定される対象であると同時に、測定という行為によって変容する対象でもある。「感情を追う」とは、追うことで感情が変わるという再帰性を引き受けることである——私たちはその覚悟をもって技術を使えているだろうか。

最終的に、本研究が提起するのは「共同体にとって良い儀礼とは何か」という古来の問いの現代的な変奏である。計算的手法はこの問いに対する唯一の答えではなく、むしろ問いをより精密に——そしてより厄介に——定式化するための道具である。感情データが示す「事実」と、参加者が語る「意味」のあいだには還元不可能な隙間があり、その隙間にこそ対話の可能性が宿っている。

先人はどう考えたのでしょうか

『典礼憲章』(Sacrosanctum Concilium, 1963年)——第二バチカン公会議

「母なる教会は、すべての信者が典礼の祭儀に、十全で、意識的な、行動的な参加へと導かれることを強く望む。このような参加は、典礼そのものの本性から要求されるものである。」
典礼憲章 第14項

公会議は、典礼が一部の聖職者による「見せもの」ではなく、信徒全体の能動的参加によって成り立つべきことを宣言した。この精神は、儀礼の包摂性を考える際の基盤であり、「誰もが意識的に参加できる」状態を技術的・制度的にいかに実現するかという本研究の問いと直結する。

回勅『フラテッリ・トゥッティ』(Fratelli Tutti, 2020年)——教皇フランシスコ

「ある種の孤立の壁を築く閉ざされた世界の夢を見る人々がいる。……しかし他方では、共にいることを切望し、出会いの文化を支え促進する人々がいる。」
フラテッリ・トゥッティ 第30項

教皇フランシスコは、排他的な共同体ではなく「出会いの文化」の構築を呼びかけた。儀礼が疎外を生むとき、それは「閉ざされた世界」の縮図となる。本研究が明らかにした疎外の構造は、フランシスコの診断を具体的なデータで裏づけるものであり、同時に改善の具体的な道筋を示唆している。

使徒的勧告『エヴァンジェリイ・ガウディウム』(Evangelii Gaudium, 2013年)——教皇フランシスコ

「教会は、自分だけのためにとどまるとき、病むことになる。……出かけて行く教会よりも、事故に遭う教会のほうが、病んだ教会よりも好ましい。」
エヴァンジェリイ・ガウディウム 第49項

教会が閉じた空間にとどまることへの警告は、儀礼の文脈にも適用される。慣れ親しんだ儀式を変えることへの抵抗は自然なものだが、「出かけて行く」精神——すなわち、まだ届いていない人のもとへ向かう姿勢——が儀礼改善の原動力となりうる。

司牧憲章『ガウディウム・エト・スペス』(Gaudium et Spes, 1965年)——第二バチカン公会議

「現代の人々の喜びと希望、悲しみと苦悩、とりわけ貧しい人々とすべての苦しむ人々のそれは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦悩でもある。」
ガウディウム・エト・スペス 第1項

この冒頭の一文は、共同体が他者の感情に無関心であることを許さない。儀礼の場で苦しむ人がいるならば、その苦しみは共同体全体のものであり、見過ごすことは信仰共同体としての本質に反する。感情変化の分析は、この「共に苦しむ」姿勢を制度的に実現するための一つの試みである。

出典:第二バチカン公会議『典礼憲章 Sacrosanctum Concilium』(1963年);教皇フランシスコ『フラテッリ・トゥッティ Fratelli Tutti』(2020年);教皇フランシスコ『エヴァンジェリイ・ガウディウム Evangelii Gaudium』(2013年);第二バチカン公会議『現代世界憲章 Gaudium et Spes』(1965年)

今後の課題

本研究は一つの出発点にすぎません。儀礼を通じた感情の理解を深め、共同体をより温かな場所へと育てていくために、以下の課題に取り組む必要があります。

縦断的研究の拡張

1ヶ月後の追跡を1年・3年に延長し、儀礼体験が長期的な帰属意識や精神的健康にどのような影響を与えるかを検証する。人生の転機(喪失・誕生・結婚)と儀礼体験の交差点に着目した研究が求められる。

文化横断的比較

仏教の法事、イスラームの礼拝、ユダヤ教のシヴァ、世俗的な追悼式典など、多宗教・無宗教の儀礼における感情変化を比較し、包摂性の課題が文化固有のものか普遍的なものかを明らかにする。

リアルタイム・フィードバック設計

儀礼後に限らず、儀礼の設計段階で包摂性をシミュレーションする支援ツールの開発。式次第の草案を入力すると、潜在的な疎外リスクが可視化され、代替案が提示されるシステムを構想する。

倫理ガバナンスの確立

感情データの収集・保管・利用に関する倫理ガイドラインを、宗教者・法学者・データ倫理学者・当事者の協働で策定する。とりわけ、データの所有権、忘れられる権利、計測を拒否する権利の制度化が急務である。

「あなたが最後に参列した儀礼で、隣にいた人は何を感じていたでしょうか——そしてあなたは、その人の感情に気づいていたでしょうか。」