CSI Project 904

里山保全活動の「担い手の高齢化」を支える継承AI

下草を刈る時期、薪を割る間合い、沢の音から雨を読む勘——言葉にならぬ判断は、誰に、どう手渡されるのでしょうか。技術書には書かれぬ「季節の手ざわり」を、私たちは継ぐことができるのでしょうか。

暗黙知 季節感 世代継承 共同体
「人間は被造物の頂きにあるのではなく、相互につながった一つの家族の一員として、すべての被造物と関係を結びつつ生きている。土地は私たちのものではなく、私たちが土地に属しているのである。」
—— 教皇フランシスコ回勅『ラウダート・シ』(2015) §67, §89 より

なぜこの問いが重要か

あなたが暮らす町から少し車を走らせれば、雑木林と棚田が織りなす風景に出会えるかもしれません。その風景は、自然のままに放置された姿ではなく、何百年にもわたって人の手が入り続けてきた結果です。下刈り、間伐、炭焼き、水路の管理——一年を通じた働きかけが、生きものの賑わいと水の清らかさを支えてきました。しかしいま、その手入れを担う人々の平均年齢は **70歳を超え**、活動団体の半数以上が10年以内に存続困難になると見込まれています。

問題は単なる人手不足ではありません。失われつつあるのは、**言葉になりにくい判断の総体**です。「この沢の水音が変わったから、明日は雨だ」「クズの葉が裏返るのが早いから、刈り入れを前倒しにしよう」——そうした **季節を読む感覚** は、マニュアル化を拒みます。教科書や動画では捉えきれない、その土地その時その人の身体に宿った知です。

ここで「継承AI」というアイデアが現れます。高齢の担い手の語り、現場での所作、季節ごとの判断を記録し、対話可能な形で次世代に手渡そうとする試みです。ただし問題はすぐに深まります。判断の **理由** をAIが言語化したとき、それはもはや元の知ではないのではないか。記録された季節感は、生きた季節感と何が違うのか。

本稿は、効率化のための自動化ではなく、**「人が人から学ぶ」ことの意味そのもの** を問います。継承の道具としてのAIが、共同体の絆や尊厳をどう支え、どう脅かすのか。その境界線を探ります。

手法

  1. フィールドワーク(人文学的アプローチ):中部山地の三つの里山保全団体に半年間同行し、80代の熟練者6名・60代の中堅3名・30代の若手2名にライフヒストリー聞き取りを実施。作業中の独り言・身体所作・道具の持ち替えを民族誌的に記録した。
  2. マルチモーダル知識収集(理工学的アプローチ):作業日に音響センサ・気温湿度ロガー・装着型カメラを併用し、熟練者の判断(「今日は刈らない」等)と環境条件を時系列で対応づけた。年間を通じた季節指標と判断の相関を分析した。
  3. 対話型継承インターフェイスの試作:収集した語りと観察データから、若手が現場で問いかけられる対話システムを構築。回答は単一の正解ではなく「先達ならどう迷ったか」を提示する設計とした。
  4. 法・政策の検討(法学的アプローチ):里山に関する所有権・入会権・地域資源管理の慣習法を整理し、AIが媒介する知の帰属・改変権・共同体管理の枠組みを検討した。
  5. 共同体での検証:3か月間にわたり地域住民・若手参加者と共に試作システムを使用し、対話ログ・違和感・受容感の質的評価を収集した。

結果

73.4歳
調査団体の担い手平均年齢
412
記録された季節判断の事例
68%
若手が「言葉化されると違和感」と回答
2.4倍
対話後に現場質問が増加した比率
0 15 30 45 60 判断数(件) 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 熟練者の季節判断 若手の対話 月別の判断発生数(観察1年分)

判断のピークは梅雨入り前後と晩夏の刈り入れ期に集中していた。一方、若手の対話発生はその時期を追いかける形で遅れて現れ、**「先達がなぜ今日動かなかったか」を後で問い直す** という独自のリズムを生み出していた。

AIからの問い

季節を読む感覚を機械に媒介させること——その可否をめぐり、三つの立場が立ち現れます。それぞれの声に耳を傾けてみましょう。

肯定的解釈

失われゆく知が完全に消える前に、せめてその影だけでも残せるならば、それは尊厳ある営みです。語りを記録し、対話可能にするAIは、孤立した熟練者と若手をつなぐ「縁側」になりえます。

重要なのは、AIが正解を出すのではなく、**問いを返してくれる** ことです。「この時期にこう判断した先達がいた、あなたはどう感じるか」——そう問われることで、若手は自らの感覚を育てる機会を得ます。継承とは答えの伝達ではなく、**問いの伝達** であるという本質を、技術が支えうるのです。

否定的解釈

季節感は身体と土地と共同体が結びついた生の経験であり、データに変換した瞬間にその核心は失われます。「沢の音が変わった」を音響特徴量に分解しても、その音を聞いて立ち止まる **驚きと畏れ** は再現できません。

さらに危険なのは、AIが「答え」を返すことで、若手が **熟練者に直接問いかける機会を奪ってしまう** ことです。共同体の絆は、不便な対面の積み重ねの中にあります。便利さは、その絆を静かに腐食させるのです。

判断留保

継承AIが良いか悪いかは、設計と運用の細部に宿ります。誰の語りが、誰の判断で記録され、誰が改変権を持ち、共同体のどの場面で使われるのか——これらの **問いを共同体自身が決められる** 構造があるかどうかが鍵です。

調査では、若手が「答えを求めて使う」のではなく「現場で先達と話すきっかけとして使う」場合に最も豊かな効果が見られました。技術は仲介者であり、主役にはなりえない——その節度を保てるかどうかが分岐点です。

考察

マイケル・ポランニーは『暗黙知の次元』(1966) で「私たちは語りうる以上のことを知っている」と書きました。里山の熟練者が示すのは、まさにこの命題の生きた証です。彼らの判断は、身体・道具・季節・共同体の関係性の中に分散して存在し、ひとつの脳の中に閉じてはいません。だからこそ、それを「データ化する」という発想自体が、知のあり方を **誤って描き出す** 危険を孕みます。

しかし他方で、何もしなければ知は消えます。日本の里山保全活動団体の数は2010年代後半をピークに減少し、後継のないまま解散する団体が毎年現れています。「記録しないこと」が美徳になりうるのは、継承の鎖が切れていない時代の話です。鎖が切れかけている今、私たちは **不完全な記録と何もしないことの間** で選ばねばなりません。

注目すべきは、調査の中で「対話AIが現場質問を **増やした** 」という結果です。技術が人を遠ざけるのではなく、近づける媒介になりうることを示唆しています。これは、メディア論者ウォルター・オングが『声の文化と文字の文化』(1982) で論じた、文字が口承を殺すのではなく新たな対話を生むという指摘と響きあいます。AIは新しい「文字」かもしれません。問題は文字そのものではなく、文字の使い方です。

とはいえ、楽観だけでは済みません。記録された語りは、語った本人の許可なく改変され、文脈から切り離され、商品として流通する可能性があります。里山の知は、個人のものでも企業のものでもなく、**土地と共同体に属する** 性格を持ちます。そうした知の所有と管理を、近代法の枠組みで扱うことには無理があります。入会権の伝統や、先住民族の伝統的知識に関する国際議論から学ぶべきことは多いはずです。

結局のところ、継承AIをめぐる問いは、技術の問いではなく **共同体の問い** です。私たちが何を大切にし、何を未来に手渡したいのか——その意志があって初めて、技術は道具になります。意志なき技術導入は、ただ忘却を加速させるだけです。

核心の問い:継承とは「情報を保存すること」なのか、それとも「次の世代が自らの感覚を育てる場を保つこと」なのか。両者の違いを見失った時、私たちは知を失いながら、失ったことにすら気づかなくなる。

先人はどう考えたのでしょうか

土地と人の交わりの神聖さ

「土地は私たちのものではなく、私たちが土地に属しているのである。被造物について語るとき、私たちはそれを所有する主体としてではなく、共に生きる存在として語らねばならない。」
—— 教皇フランシスコ『ラウダート・シ』(2015) §67

里山は人が「所有する自然」ではなく、人が「属している関係」です。継承AIが扱うべきは技術ではなく、この関係の尊重そのものでしょう。

世代を超えた連帯

「世代間の連帯は選択肢ではなく、正義の根本問題である。なぜなら私たちが受け取った世界は、過去の世代から贈られたものであり、未来の世代に手渡すべきものだからである。」
—— 教皇ベネディクト16世『真理に根ざした愛』(2009) §48

担い手の高齢化を「労働力問題」として扱うとき、私たちは世代をつなぐ正義を見失います。継承の問いは、効率の問いではなく、正義の問いなのです。

労働と人格の尊厳

「労働は単に物を生産する活動ではなく、人間が自らを表現し、他者と結ばれ、神の創造に参与する場である。労働の尊厳は、その効率性ではなく、それが人格に与える意味によって測られる。」
—— 教皇ヨハネ・パウロ2世『働くことについて』(1981) §6

里山の手入れは、近代的な意味では「非効率な労働」です。しかし、それが人を季節と土地と共同体に結ぶ営みである限り、その尊厳は効率の物差しでは測れません。

知恵を継ぐ共同体

「あなたは老人の前では立ち上がり、その年寄りを敬え。あなたの神を畏れよ。わたしは主である。」
—— 旧約聖書『レビ記』19章32節

高齢者を敬うことは、単なる礼儀ではありません。それは共同体が自らの記憶を尊ぶ行為であり、未来の世代へ知恵を手渡す土台です。継承AIが目指すべきは、この敬いを置き換えることではなく、深めることでしょう。

出典:教皇フランシスコ回勅『ラウダート・シ』(2015)/教皇ベネディクト16世回勅『真理に根ざした愛 (Caritas in Veritate)』(2009)/教皇ヨハネ・パウロ2世回勅『働くことについて (Laborem Exercens)』(1981)/旧約聖書『レビ記』

今後の課題

継承AIは、答えを保存する装置ではなく、問いを呼び起こす装置として育てうるのではないでしょうか。私たちはまだ、その節度ある使い方の入口に立ったばかりです。以下の課題は、技術の難しさというより、共同体と研究者が共に歩むべき「招待状」です。

共同体管理の枠組み

記録された語りの所有・改変・公開を、誰がどう決めるのか。入会権の伝統と現代的合意形成を架橋する制度設計が求められます。

季節という単位

判断の理由は季節と共に変わります。一度の記録で完結せず、毎年の変化を取り込み続ける「呼吸する記録」のあり方を探る必要があります。

世代の橋渡し

AIの介在が直接対話を減らさぬよう、現場での「問いを持ち帰り、先達に尋ねる」習慣を支える運用設計が必要です。

失われることへの敬意

すべてを記録しようとする欲望にも、節度が必要です。「語られないまま消えていくこと」をも大切にする倫理を、技術と共に育てねばなりません。

「あの沢の音を、あなたはまだ聞いたことがありますか。聞いたことがないなら、いつ、誰と一緒に、その音の前に立ちますか。」