※本エッセイはすべて創作です。登場人物・園・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる個人・組織とも関係ありません。
あの面談室に、もう一度座っている。
丸いローテーブル、灰色のパイプ椅子、壁に子どもの絵。入園のときに座ったのと同じ椅子のはずなのに、座面の硬さが違う気がする。窓の外は桜の散りかけ。3年前と同じ季節に、同じ部屋に来た。ただ今日は、入る話ではなく、出る話をしにきた。
園長先生は、定刻の2分前に入ってきた。書類の束を抱えて、「お待たせしました」と会釈して、向かいに腰を下ろす。3年前と同じやわらかい微笑み——ではなかった。少しだけ、目の下が重い。3年ぶんの、重さだった。
「4月いっぱいで、転園させていただきたくて」
出した声が、想像より半音高かった。喉の奥が乾いていて、舌が上顎に貼りつく感じがする。言い切ったあと、息を吸うタイミングが一瞬わからなくなった。
言うべきことは、家で何度も口に出して練習してきた。鏡の前で、台所の前で、電車のホームで。「家事の容量がもう限界で」「夜の洗濯がどうしても回らなくて」「夫と話し合って、紙おむつの園に移ることにしました」。そのどれかを、順番に並べて言うだけの予定だった。
けれど、向かいの人の沈黙のなかで、ほぼ練習通りの文が、組み立て直された。
「家事の、容量が限界で……すみません」
謝った。謝る予定はなかったのに、口が勝手に動いた。「すみません」のあとに続く言葉が、ひとつも出てこない。膝の上で、ブラウスの裾をつまんでいた。指先の冷たさが、生地を通してわかる。
夫はこの日、会議で来られなかった。昨晩、二人で書いた退園届の文面は、カバンの内ポケットにある。夫のぶんの話はまた、別の朝のエッセイになる。
園長先生は、すぐには返事をしなかった。
書類の束の、一番上の紙を指先で軽く整えた。揃えなくてもいい角を、揃え直していた。それから顔を上げて、こちらを見た。目は合った。けれど焦点は、こちらの顔ではなく、こちらの肩のあたりに落ちていた。
「——そう、でしたか」
「そうでしたか」の、最初の母音が、かすかに割れていた。風邪のあとの声に似ていた。
それから、彼女は一度だけ、小さく首を縦に振った。深い頷きではない。自分に向けてする頷きだった。「そう」と「わかった」の間に置かれた、自分を納得させるための動作。
入園面談のときの、あのやわらかい微笑みを、3年間覚えていた。肌にやさしいですし、情緒の発達にもとても大切で——と彼女が言ったときの、まっすぐに頬の上がる微笑み。今日の顔には、それがなかった。別のものが浮かんでいた。疲れでもなく、落胆でもなく、ただ、相手から差し出された何かを受け取り損ねた人の顔だった。手を出すのが、一拍遅れた人の顔。
「先生方にはよくしていただいて」と続けようとして、続けられなかった。続けたら、嘘になる気がした。よくしてもらったのは本当だ。けれど、よくしてもらったことの内側で、こちらはずっと溺れていた。それを「よくしていただいて」の一語で塗りつぶす権利は、今日の自分にはない。
話は、15分ほどで終わった。
4月末までの登園スケジュール、荷物の持ち帰り日、転園先への書類の準備。園長先生は事務的な手順を、事務的な声で話した。途中で一度、「娘さん、すごく頑張ってくださっていたので」と言った。「頑張っていました」ではなく「頑張ってくださっていた」だった。敬語の向き先が、一瞬、娘に向かって飛んだ。
面談室を出て、廊下を歩く。昼寝の時間で、3歳児クラスの部屋は静かだった。娘のクラスの前を通るとき、すりガラス越しに布団の山が見えた。いつもの位置の、いつもの布団。足は止めなかった。止めたら、何かが折れそうだった。
玄関で靴を履き替えて、外に出た。4月の日差しは、3月のそれより厚い。厚い光のなかで、一度だけ振り返った。園舎の2階の窓に、誰も立っていなかった。当たり前だ。園長先生は、見送りのために窓に立つような人ではない。そういう芝居を彼女はしない。そこが彼女のいいところだった。いいところだったのに、こちらはその職員室から出ていく。
駅までの坂を下りるあいだ、カバンの内ポケットの退園届を、何度か指先で触った。もう出したのに、まだそこにある紙のように感じていた。
退園から3週間後、園から封書が届いた。
差出人は園長先生の名前だった。封を切ると、A4のクリアファイルに、春の行事の写真が10枚ほど挟まれている。入園式の集合写真、近くの公園のチューリップの前、給食の時間、新しい担任の先生とのハイタッチ。そして最後の1枚に、昼寝前のお集まりの写真。前列の端に、娘がいた。
「4月のご様子です。ご参考までに」とだけ、便箋に書かれていた。余計な一文はなかった。お元気で、でも、寂しくて、でもない。ただ「ご参考までに」。
夕食のあと、娘をソファに呼んで、一緒に写真を見た。娘はチューリップの前で頬をふくらませている自分を見て笑い、給食のコロッケの皿を指さして「これ、おかわりした」と言った。最後の昼寝前の写真で、指が止まった。
「せんせい」
写真の右上の端、画角に半分だけ入った先生の後頭部を、娘の小さな人差し指がまっすぐに指した。名前ではなく、「せんせい」だった。それから娘は指を外して、別のページをめくった。
こちらは、少しのあいだ、その止まった指先の残像を見ていた。
泣きはしなかった。罪悪感でもなかった。もっと薄い、名前のつけにくい何かが、胸の下のほうで揺れていた。たぶん、ここにあったのは、「置いてきたものがある」という感覚に近い。悪いものを置いてきたのではない。悪いとも限らないものを、自分の手で閉じて、出てきた。その閉じた扉の向こうで、娘の右上にあの人の後頭部がまだ映っている。指先がそれを覚えている。それだけだった。
前のエッセイで、善意の檻、と書いた。
檻を差し出す側には格子が見えない、と。だから出るためには、閉じ込められた側が格子を鳴らすしかない——そのときは、そう書いた。書いたあと、金曜日の袋の重さが右手のひらに残っているから、もうそれで終わったつもりでいた。
ノックした。ノックして、扉は静かに開いた。園長先生は怒らなかった。引き止めもしなかった。制度のほうを少しだけ動かしてくれる奇跡も、起こらなかった。ただ、書類の角を整えて、「そう、でしたか」と言った。それだけだった。
奇跡は起きなかった。けれど、格子は動いた。格子は動いたのに、向こう側に、あの人の半拍遅れた手が残った。受け取り損ねた手のかたちが残った。その手のかたちを、こちらが閉じてきた。閉じたのは、こちらだった。
家に帰る道で、右手の指の関節を見た。ノックした指だ。関節のしわが、蛍光灯の下で白い。扉を叩いた側にも、叩かれた分の衝撃は残る。叩かれた扉のほうがへこむのは当たり前として、叩いた指の関節にも、うっすらと赤みが残ることを、こちらは知っていなかった。
出てきた。出てきて、まだ、別の檻に誰かを閉じ込めている気がする。週末、ママ友とのランチで「紙おむつの園に変えたんだ、肌にはちょっと申し訳ないけど、まあ」と軽く言ったとき、隣の席の人がビールのグラスを持ち直した。持ち直したあとの、手首の角度が、少しだけ硬かった。あれは何だったのか。今はわからない。
檻を出た人間が、次の部屋で檻を建てている。建てているつもりはない。つもりはないのが檻の、仕組みだった。
娘の写真集を、本棚の、絵本の並びの横に立てておいた。背表紙が出ないから、たまに倒れる。倒れるたびに立て直す。立て直しながら、右上の後頭部を、指先は忘れないでいる。
書き手・マツモトヒナ(育児家事コーディネーター、娘6歳)