サカモトミユ(学生・放課後)
放課後、駅ビルの六階の本屋に行くため、エレベーターに乗った。先に知らないおじさんが一人。あとから、買い物袋を持ったおばさんが二人。四人になった瞬間、全員がそろって、ドアの上の階数表示を見上げた。1、2、3、と数字が変わる。誰もそれを読んでいない。読むものなんてない。でも見るところが、そこしかない。
リュックが重い。教科書とお弁当箱と、体育で使った湿ったタオル。背中で揺れる。狭い箱の中で、おじさんの整髪料と、おばさんの買い物袋から漏れるお惣菜のにおいが混ざっている。鼻で息をするのをやめて、口で浅く吸う。誰かのイヤホンから、シャカシャカと曲のいちばん高い音だけが漏れていた。音楽というより、虫みたいな音。
わたしはボタンの前に立っていた。こうなると、自動的に「開」ボタンの係になる。誰も頼んでいないのに、止まった階で誰かが降りるあいだ、わたしは「開」に指を添える。添えるだけ。本当に押しているのか、押すふりなのか、自分でもよく分からない。ドアが閉まりかけたら押す、という心の準備だけしている。
一度、失敗したことがある。別の日、駆け込んでくる人が見えたのに、わたしの指は「閉」のほうに乗っていて、そのままドアが閉まった。間に合わなかった人と、ガラスごしに目が合った。わたしは階数表示を見上げて、見なかったことにした。あのとき覚えたのは、優しさではなくて、見ないふりの仕方だったと思う。
六階に着くまで、誰も一言も話さなかった。咳ばらいも、ため息もなかった。四人とも、息の音まで小さくしていた。たぶん全員が、同じことをしていた。互いを見ないために、数字を見ていた。沈黙が気まずいのではなくて、気まずさをやり過ごすための道具が、あの階数ランプなのだ。
「6」が光って、ドアが開いた。わたしが先に降りた。後ろの三人がそのあとどうしたかは知らない。本屋に入って、やっと普通に息を吸えた。エレベーターの観察を、わたしはよく人ごとみたいに書く。でも本当は、わたしも見上げる側の一人で、駆け込む人がいても気づかないふりをできる側にいる。それを優しさと呼ぶには、わたしは少し、それに慣れすぎている。