ワタナベ(65歳、元会社員、名古屋在住)
神社の絵馬掛けは、時を刻む壁だ。朱色の鳥居をくぐると、まず視界に飛び込むのは、幾重にも重なった木札の塊。風雨に晒され、文字が滲んだものもあれば、真新しい檜の香りが漂うものもある。墨の濃淡、ペンの跡、書き損じを修正したテープの痕跡。一つ一つの木札が、ここへ来た誰かの息遣いを伝えてくる。
「〇〇大学合格」と、細身のボールペンで丁寧に書かれた絵馬があった。その隣には、やけに太い油性ペンで「絶対合格!」と殴り書きされたもの。力任せに書かれたのか、木札にはペンの先が食い込んだような窪みまで見える。どちらも切実さには変わりないが、文字が雄弁に書き手の性格を物語っている。
家族を案じる願いは、達筆な大人の筆致と、ぎこちない子供のひらがなが混在している。「父の病が癒えますように」と縦書きされた横に、おそらく子供が書いた「パパだいすき」という言葉。筆圧の弱さから、幼い手が懸命に文字をなぞった情景が目に浮かんだ。
恋愛の絵馬は、いつも決まって掛け木の低い位置に追いやられている。若い女性の絵だろうか、アニメキャラクターのイラストが描かれた木札に、「〇〇さんと両思いになれますように(ハート)」と可愛らしい文字。名前は伏字で「Y.T」と記され、日付だけがやけに具体的に「令和六年五月十五日」と書き込まれていた。秘めたる願いの熱量が、文字の端々から伝わる。
近年は、多様な願いが混じり合う。数年前までは見かけなかった「推し活が成功しますように」という絵馬。アイドルグループの名前とメンバー名がぎっしり書かれている。その隣には、「商売繁盛」と力強い筆文字で書かれた、いかにも年季の入った木札。時代は変われど、人は何かを願わずにはいられないのだ。
「家内安全を願う。令和六年、家族一同」
と書かれた絵馬を読んだとき、私はそこに具体的な家族の姿を想像せずにはいられなかった。この一行は、無数の日常を内包している。それは、特定の誰かの生活の縮図に他ならない。
絵馬は、人の営みの痕跡だ。誰にも読まれることのない最上段の木札から、今日奉納されたばかりの新しい絵馬まで、そこには人間の未熟さや強かさ、そして希望が刻まれている。私はその全てを見つめ続けるだろう。