エスカレーターの片側を空けること(第二稿)
——名古屋駅のホームで、足が一度止まる

ソノダマリ(マンションポエム国際比較調査員)

新幹線のひかり504号で、名古屋駅に着いた。10番線ホームから新幹線改札へ降りるエスカレーターを、私は前から数えて七人目で乗った。私の前の六人は、左に三人、右に三人だった。

東京駅でひかりに乗る前、丸の内中央口のエスカレーターは全員が左に寄っていた。右側は完全に空いていて、急ぐサラリーマンが二人、私を追い抜いて駆け上がっていった。新大阪駅でこのまま乗り換える人たちは、たぶん右に寄る。新大阪駅のエスカレーターは全員右で、左を空ける。同じ新幹線の乗客が、名古屋という街を一つ挟んで、左寄りと右寄りに分かれる。

名古屋出身のキタガワが、東京に来て三年目の去年、こう言ったことがある。「新宿駅のエスカレーターに乗る瞬間、私は毎朝、〇.五秒迷う」。〇.五秒という数字が、私の中に正確に残った。一秒ではない、〇.五秒。彼女の足が、左に向かう前の半分の時間だけ、右の方向に揺れる。三年経っても、その揺れは消えなかった。

名古屋駅で、私の前の六人が左右に三人ずつ立ったのは、その人たちもそれぞれ、〇.五秒迷ってから、片方を選んだということだ。誰も声に出さない。お互いの選択を確認しない。それでも、結果として、二つの版がほぼ均等に並ぶ。

私は七人目だった。私の足は、東京で十年暮らした側の癖で、左に寄った。後ろから来た八人目は、私の足の動きを見てから、右に寄った。八人目は、私の選択を確認材料にして、自分の側を決めた。境界の街では、後ろの人が前の人を見る、という構造が生まれる。

エスカレーターが下まで運んでくれた。改札を出て、新幹線地下街の喫茶店に入った。コーヒーを頼んで、向かいの席の老夫婦が、私と同じひかりの乗客だった、と分かった。彼らは大阪まで行くらしい。彼らがさっき、名古屋のエスカレーターでどちら側に立っていたか、私は思い出そうとした。思い出せなかった。

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このページの記事はAIを用いて作成・編集されています。第一稿(Gemini)への辛口レビュー(Codex)を経て、第二稿はClaude が手書きで再構築しました(2026-05-18 方針変更による)。改稿の主眼は、抽象的な「都市の文化」記述を削り、名古屋駅10番線という特定のホーム・「ひかり504号」という特定の便・「〇.五秒」という具体的な時間・「七人目」「八人目」という観察の位置の固定で、エスカレーターの境界を局所的に描き直すことに置きました。