ソノダマリ(マンションポエム国際比較調査員)
葬儀の司会を国ごとに比べるなら、「悲しみの表現」を並べても薄い。差が出るのは、涙の量ではなく、次に誰を立たせ、どこで手を止めさせるかだ。私は東京、ソウル、アメリカ中西部の式場で、司会者がマイクの前でやっている仕事を、まず交通整理ではなく微細な制動として見た。声の高さ、名前の切り方、足音が止むまで待つ秒数。その小さな制御で、会場の重心が動く。
日本「ご焼香は、前列中央よりお進みください」
韓国「遺族から先に献花します。続いて皆様です」
アメリカ「Before we begin, please take the programs and move closer if you’d like」
東京の民間斎場で印象に残ったのは、司会者が丁寧だからではない。指示が細かく、しかも一度も説明口調にならないことだ。焼香台の前で親族の列が半歩ずれた瞬間、「恐れ入ります、こちらから」と一音だけ低く落とす。会葬礼状を持ったまま立ち尽くす人には、係員が肘ではなく紙の端を軽く示す。日本の司会文は感情を冷やしているのではない。動作の迷いを会場に広げないための文だ。ここでは長い追悼より、名前を読み違えないことのほうがはるかに重要になる。
ソウルの殯所では、もっと張った声が使われる。だが強圧的ではない。白菊を持つ順番、二拝の角度、遺族が立つ位置が明確なので、泣いている家族の横で進行だけが先に崩れる事態を防げる。意外だったのは、最も身体の動きが揃うのが日本ではなく韓国だったことだ。合図が明快だから、参列者は周囲を盗み見しない。悲しんでいる最中に「次は誰だ」と探さなくて済む。この利点は大きい。
アメリカ中西部の funeral home では、物語が中心だと言われがちだが、実際の司会はかなり事務的だった。駐車場は裏手、写真展示は右壁、終式後の軽食は地下室。最初の二分で告げられるのは思い出より段取りである。そこから娘のスピーチに移ると、会場の椅子が軋み、後方の男性が鼻をすする音だけ残る。私はここで、司会者の仕事は感動を作ることではなく、感動が始まる前に余計な不安を片づけることだと確信した。葬儀では、うまい言葉より、正確な一言のほうが人を支える。
比較して残るのは、国の性格表ではない。定型句が、人の手の置き場と視線の向きを先回りして決めているという事実だ。葬儀の司会は脇役ではない。遺族が崩れても式そのものは崩れないよう、見えないところで荷重を受ける係である。だから調査メモに残すべきなのは「厳粛だった」では足りない。誰の名の前で息を吸い、どの指示で列がほどけ、どこで咳払いが消えたか。その記録にしか、式場ごとの癖は出ない。