※本エッセイはすべて創作です。登場人物・園・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる個人・組織とも関係ありません。
子どもが生まれるまで、子どもが見えていなかった。
視界には入っていた。通勤電車のドア付近、日曜のモール、耳鼻科の待合。けれど「見えていた」とはとても言えない。ベビーカーを担ぎ上げて駅の階段を半泣きで上る女の人を、ただ追い抜いていた。泣き止まない赤ん坊を抱えて連結部に立ち尽くす父親がいても、耳に栓をしていた。それどころか、「静かにさせてよ」と内心で舌打ちした日さえあったはずだ。
娘が生まれて半年したある日、ふと気づいた。街にこんなに子どもがいたのか、と。妊婦。抱っこ紐の父。双子ベビーカー。保育園バッグの3歳児と、遅刻ぎりぎりの母。突然、視界の半分が子どもで埋まった。彼らはずっとそこにいた。見えていなかったのは、こちらの方だった。
多分、人は自分と同じ痛みを抱えている人しか見えない。視力の問題ではない。同じ場所に立っていなかった、というだけの話だった。
娘が1歳から通った保育園は、布おしめの園だった。
入園面談で、園長先生はやわらかく微笑んで言った。「うちは布おしめなんです。お肌にやさしいですし、何より、おしっこが出たときの不快感をちゃんと感じ取ることが、情緒の発達にとても大切で」。
頷いた。待機児童の多い地域で、ようやく引き当てたこの一枠を、蹴る余裕はなかった。園のロッカーに布おしめを10枚セットする。使ったものは、夕方、ビニール袋に詰めて持ち帰って洗う。それが、この園のルールだった。
金曜の夜、私が園から引き取るのは、娘と、一週間ぶんのその袋だった。
袋はずしりと重かった。中身は水分を吸って冷たく、角の形がはっきりしない。何度ビニールを重ねても、網棚に置けば匂うかもしれないと思って、足元の床に置いた。満員の車内で、他人の靴のすぐ横に、娘の便を吸った布を置いた。右手にベビーカーの取っ手、左手にその袋、背中には業務用カバン。帰りの急行は、いつもより長く感じた。
家に着くのは19時半。夕食、離乳食、湯船、歯磨き、絵本。娘が寝たのは21時過ぎ。そこから洗面所に立ってバケツに布を浸け、洗濯機を回した。22時、23時、ときどき日付が変わる。ドラム式の乾燥は使わないでくださいと園に言われていた——生地が傷むので。脱衣所のピンチハンガーに、布を一枚ずつ吊るしていく。全部吊るし終わって顔を上げると、鏡の中に、髪の崩れた女が立っていた。
翌朝、まだ湿っている布があった。月曜に乾ききらないまま持たせるのが忍びなくて、土曜の夜にもう一度洗い直した。そうして週末が終わる。
夫の話は、また別の夜のエッセイになる。この夜、夫は夫で別の戦場にいた。
園長先生のあの言葉に、嘘はなかった。
布おしめが肌にやさしいのは事実だ。紙おむつより環境負荷が低いのも、おおむね事実だ。おしっこの不快感の知覚が情緒発達に寄与するという見解にも、それなりのエビデンスがある。園の先生たちは、娘のために、誠実に、よかれと思っていた。これは嫌味ではなく、本当にそう思う。面談のあのやわらかい微笑みも、演技ではなかった。
けれど、その誠実さが、こちらを沈黙させた。
週末、排泄物で重くなった袋を抱えて電車に乗るとき、泣きたかった。泣けなかった。泣いたら、善意を裏切ることになる気がしたからだ。「肌にやさしい」を拒否するのは、私が子どもにやさしくない母親だということではないか。「情緒の発達」を軽視するのは、娘の心を軽視しているということではないか。紙おむつにしてください、と言えなかったのは、言葉を持っていなかったからではない。その一言が、自分の中の母親としての自己像を壊してしまう気がして、言えなかった。
これが、善意の檻だった。善意によかれと思って差し出されたものが、差し出された側を沈黙させる。苦しいと言えば、善意を否定することになる。助かりますと言えば、苦しくないふりをしなければならない。
檻の怖いところは、閉じ込める側に、檻の格子が見えないことだ。園長先生は檻を差し出しているつもりは、一ミリもなかった。あの人は「肌にやさしい布」を差し出しているつもりでいた。彼女の視界のなかでは、ほんとうに、それは布だった。
園長先生に、共働きで夜にしか洗濯ができない母親の手のひらが、見えていなかった。それは彼女の怠慢ではなく、彼女が現在そこに立っていない、というだけの話だ。
たぶん彼女自身も、若い頃に子育てをして、幼児教育に情熱を持ってキャリアを積み、いまは園長という立場で「子どもの尊厳」を守ろうとしている。その立ち位置から見える景色は、「肌にやさしい布おしめ」であって、「23時の洗面所で吊るされる、冷たく重い布」ではない。彼女の側にそれが見えていたら、たぶん、違う設計になっていた。
こちらもそうだった。子どものいなかった頃、泣く子の父が見えていなかった。妊婦のための優先席が、なぜあの車両のあの場所にあるのかを、本当の意味では知らなかった。知らないことは、知らない。それは自明のようで、けれど、知らないものを「見えている」と思い込んで生きるのが、大人というものだった。
人は、立っている場所から見えるものを、世界のすべてだと思いやすい。そして、見えていないものは、端的に存在しないかのように扱ってしまう。
あの金曜日の夜、もし園長先生から、たった一言、「布おしめ、大変じゃないですか?」と聞いてくれる瞬間があれば、堰を切ったように泣いていたと思う。泣いて、「正直、しんどいです」と答えていたと思う。それから、たぶん、園長先生は制度のほうを少しだけ動かしてくれた気がする。
聞くことは、見ようとすることだ。見えていないことを知っていれば、聞くことができる。自分の視界の外に、いま誰かが立っていることを知っていること。それだけで、檻の格子は少し曲がる。完全に外せなくてもいい。曲げるだけでいい。
そして、これを書きながら、いま自分が、誰かに対して同じことをしているのではないかと思う。「よかれと思って」差し出している何かが、差し出された側にとっては、湿った布の重さなのかもしれない。同僚に。母に。妹に。新しく入園してくる親の前で、いま私は、別の園長先生になっていないか。
たぶんなっている。それは、自分には見えていないところで、なっている。
娘はこの4月で小学生になった。布おしめの時期はもう遠く、あの週末の洗面所も、もう見ない。園での排泄の不快感が娘の情緒発達に寄与したのかは、今となってはわからない。
ただ、あの金曜日の袋の重さを、右手のひらがいまも覚えている。ずしりと冷たい、角のない、あの重さ。電車の床に置いた、他人の靴の横の、あの袋。23時の鏡に映った、髪の崩れた女の顔。
多分、人は自分と同じ痛みを抱えている人しか見えない。けれど、それを知っていれば、見えないものが存在することは知れる。見えないものに、せめて耳だけは澄ますことができる。
完全な理解なんて、ない。ただ、善意が檻になる前に、一度、「しんどいですか?」と聞き合える世界がほしい。聞かれて、答えていい世界が。
聞いてくれる人が、あの金曜日にも、一人いればよかった。それだけのことを、いまも思っている。
書き手・マツモトヒナ(育児家事コーディネーター、娘6歳)