扉の、外側で書けること
——ハラスメント防止対策委員会、2年の任期を終えて

※ これは 第一稿 です。辛口レビューを経て第二稿があります。

※本エッセイは すべて創作 です。登場人物・団体・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる個人・組織・事案とも関係ありません。

任期が終わった。机を片付けながら、書いている。

この2年、たくさんのことを見た。たくさんのことを聞いた。たくさんのことを抱えてきた。そのほとんどを、私は語ることができない。

守秘義務がある、というだけではない。ここで見聞きしたことは、人の尊厳に直接かかわる。軽々しく言葉にした瞬間、二次被害になる。一次被害が起きたあと、ほんの小さな言葉の選び方で、三次、四次の痛みが生まれていくことを、この2年で嫌というほど目にしてきた。

だから、語らない。それでも、ひとつだけ、語っておきたいことがある。

一.扉の、内側の話はしない

ハラスメント防止対策の仕事は、ほとんど裏方だ。相談者の名前は外に出さない。加害を指摘された側の氏名も、一切表に出さない。外部にも、家族にも、当事者以外には何も語らない。語ってはならない。

学生から相談を受けた日のことも、教職員から相談を受けた日のことも、外部の方から相談を受けた日のことも、学生の親御さんから怒鳴られた日のことも、ここでは書かない。

抽象化すれば書ける、と言う人もいる。私はしないことに決めている。抽象化できるほど、この仕事は軽くない。

だから、扉の外側の話を書く。扉が開く前の時間と、扉が閉まったあとの時間について。

二.「助けて」が出てくる、その前

相談は、「助けてください」では始まらない。たいてい、こう始まる。

「少し、話だけ聞いてもらえますか」。
「大したことじゃないかもしれないんですけど」。
「自分が悪いのかもしれなくて」。

声を出すところまでが、いちばん遠い。扉をノックするところまでに、もう体力を使い果たしている人が、ほとんどだった。

だから私は、最初の数分、何も言わないようにしていた。判定も、助言も、質問も、先には出さない。湯呑みの蓋を開ける。お茶を差し出す。ティッシュの箱を、机の端に寄せる。それだけのことを、する。

「ハラスメントに該当しますか」の答えは、後でいい。まず、その人が自分の言葉を持って部屋を出られるようにすること。最初の仕事は、それだと思っていた。

三.医師と、手を携えて

1年目、私は勘違いをしていた。ハラスメントの相談は、ハラスメントの枠組みで解決できる、と。

できなかった。

相談に来る人の多くは、心身にもう深い傷を負っていた。眠れない。食べられない。職場の方角の電車に乗れない。これは、規則の判定だけで解ける問題ではなかった。

産業医の先生と、心療内科の先生に、何度電話しただろう。紹介状を、何度書いていただいただろう。ある日、産業医の先生がこう言ってくださった。

「委員長、全部ご自分でやろうとしないで。
あなたは規則を見る人、僕は身体と心を診る人。
役割を分けて、同じ方向を向きましょう」。

この一言で、私は背中を押された。自分が、どれだけ抱え込みすぎていたか、そのときはじめて気づいた。

医師と手を携える、というのは、同じ手のひらを合わせることではない。違う手を、別のところに置いて、同じ人を支えることだった。

四.ひとりで判定しない、という約束

委員会には、私のほかに、人事課の職員と、顧問弁護士と、他学部の先生がいた。

規定として、どんな軽微な案件でも、判定は一人でしない。必ず二人以上で聞く。議事録を残す。最終判断は合議する。

最初はこの手続きを、煩わしいと思ったこともあった。スピードが落ちる、と。2年経って、はっきりわかる。まったく逆だ。

ひとりで判定したと思い込んだ夜は、眠れない。あの結論で正しかったか。違う結論もあり得たのではないか。自分の無意識の偏りが出なかったか。合議で決めたことは、私ひとりの荷物にはならない。荷物は、分け持つ形でしか、持ち続けられない仕事だった。

同僚と手を携える、というのは、仲良くすることでもなければ、気を遣い合うことでもない。責任を、共に名前で署名し合う、ということだった。

五.顔の見えない、誰かへ

判定の結論を書いた紙には、委員長の名前が入る。「該当する」と書いた紙にも、「該当しない」と書いた紙にも、私の名前が入った。

どちらの結論でも、誰かを失望させた。どちらの結論でも、誰かの予想を裏切った。直接詰め寄られたこともある。外部から抗議文が来たこともある。顔の見えない場所で、どれくらい恨まれたかは、もう、知りようがない。

それでも、ひとつだけ書いておきたい。

恨まれることを避けて判定を曲げることは、しなかった。

そのことを、夜、布団の中で自分に言い聞かせた日もある。言い聞かせきれなかった日もある。言い聞かせきれないまま、翌朝、また相談室の椅子に座った。

判定は、誰かを怒らせるために下すのではない。
誰かの尊厳を守るために下す。
——そう自分に言って、2年間、座り続けた。

顔の見えない誰か、どうか、時間が経ったら、少しだけ、ゆるしてほしい。

六.背中を押す、ということ

相談者が、通報するかどうかを迷う夜がある。通報すれば、職場の関係は変わる。家族にも話さなければならなくなる。加害とされる側を、どこかで傷つけることにもなる。

「通報しましょう」とは、簡単には言えない。「ご自身でお決めください」だけで済むとも、思わない。

委員長として、私がやろうとしてきたことは、こういうことだった。

押さない。ただし、その人が進もうとする方向に、こちらも一歩、歩幅を合わせる。戻ろうとすれば、何も言わずに、こちらも半歩、下がる。迷っている時間を、ただ一緒に過ごす。

進むと決めてくれた日は、隣に立った。戻ると決めた日は、「いつでも、また開けていますから」とだけ伝えた。どちらでも、責めない。どちらでも、他人にも責めさせない。

「寄り添う」という言葉を、私は長く使いたくなかった。使い古されているから、ではない。自分にとって、この言葉が重すぎたからだ。

2年経って、ようやく、少しだけ使える気がしている。解決しない時間を、隣でただ一緒に過ごすこと。それを寄り添うと呼んでいいなら、私は、寄り添う側にいた。

結び:扉を、ひとつ、閉じずに

机の上の書類は、ほとんど片付いた。最後に残った封筒に、後任の先生宛ての引き継ぎノートを入れる。

この2年で、ルールは少し変わった。相談窓口が増えた。記録の様式が整った。医師との連携フローが明文化された。組織というものは、少しずつなら、変わる。

だが、いちばん変わってほしいのは、組織ではなく、文化のほうだ。

「これぐらいのこと」と言わない文化。
「冗談だよ」で終わらせない文化。
「あの人は昔からそうだから」で流さない文化。

21世紀も、もうすぐ四半世紀が過ぎる。令和という、時代が変わったはずの空気のなかで、職場が、大学が、ひとりひとりを、人として扱うこと。少なくとも、私たちの世代から先は、そうありたい、と願っている。

新しい時代の大学を、新しい時代の社会を。
背中を押す側の人を、もう少しだけ増やしていく。
それだけのことを、何年も、やり続けていく。

後任の先生へのノートの最後に、こう書いた。

「どうか、ひとりで判定しないでください。医師に電話してください。同僚に相談してください。そして、扉を、いつも、少しだけ開けておいてください。誰かがノックしたときに、誰かが気づける状態にしておいてください」。

——そして、いま、声が出せずにいる人へ、最後にひとつ。

あなたの話を、最初の数分、黙って聞こうとする人は、この世界のどこかに、必ずいる。顔は違っても、扉の前にいる。

ノックしていい。
返事が少し遅くても、待っていてほしい。

遠藤 夏樹