ワタナベ(65歳・元会社員)
私はこの「さくらヶ丘」に越してきた。昭和の終わり頃、30代半ばのことだ。高度経済成長の残照の中、首都圏郊外は新しい住宅開発で沸いていた。駅の雑踏を抜け、坂道を上り切ると、真新しい家々が目に飛び込む。建材の匂いに、未来への期待が膨らんだ。
「さくらヶ丘」「ひかりヶ丘」「みどり台」。瑞々しい響きの町名は、当時の象徴だった。都会の喧騒を離れ、自然豊かな環境で暮らしたい。そんな夢を捉え、デベロッパーは競うように魅力的な名前をつけた。実際、この名前だけで土地の価値が上がり、新しい暮らしが始まるような気がしたものだ。
我が家を構えた「さくらヶ丘」も、そんなブームの最中に生まれた。桜並木が謳い文句だったが、植えられたばかりの若木はひどく頼りなかった。それでも、「桜の咲く丘で暮らす」という響きに、私は胸を躍らせた。丘の上から見下ろす街の灯りは、新天地への希望そのものに見えた。
開発ラッシュが終わり、時代は平成、令和へ。かつて真新しい輝きを放った住宅は、今、外壁の白が雨筋で鈍色に染まり、庭には手入れを放棄されたツツジが通路を塞いでいる。朝夕の通学路を賑わせたランドセルの群れは途絶え、代わりに庭木の剪定を告げるエンジン音が響く。活気は薄れ、町は静かになった。これが現実だ。
この街で育った子どもたちが、成長して巣立っていく。彼らにとって「さくらヶ丘」は、新しい生活の始まりでもなければ、ましてや希望の地でもないだろう。ただ、慣れ親しんだ、それだけの場所かもしれない。先日、駅前で高校時代の友人と立ち話する娘を見かけた。彼女の口から零れた「実家」という言葉が、不意に耳に残った。
先日、街路樹の根元に、新しい分譲マンションの立て看板を見た。そこには「アーバンビュー〇〇」とあった。「さくらヶ丘」とはまるで違う、別の街の顔だ。かつての若木は立派な桜並木になったが、その下を急ぎ足で通り過ぎる若者たちに、この名がどう響いているのか、私は知らない。それでも、私はこの街でこれからも暮らすだろう。