ソノダマリ(マンションポエム国際比較調査員)
ジャカルタの高級コンドミニアム広告を見ていると、まず目に入るのは高さではない。車寄せだ。雨を切る深い庇、警備員の立つゲート、磨かれたベージュの床、二層吹き抜けのロビー。そこを抜けた先にようやく city view と sky pool が出てくる。地上の困難を忘れさせるというより、濡れず、待たず、混ざらずに建物へ滑り込ませる。その段取りが広告の中心にある。
“Live above the city. Akses mudah ke CBD, exclusive facilities, comfort for your modern family.”
この継ぎ目のなさがジャカルタらしい。akses mudah、private lift、kids playground、smart living。英語は価格をつり上げ、Bahasa Indonesia は暮らしの速度を整える。パンフレットには「5 menit ke tol」「dekat Kuningan」「bebas banjir」といった言い方まで並び、眺望の話の横に移動時間と水の話が平然と座る。上品にぼかしているのではない。困りごとを設備表に畳み込んでいる。
だからこの広告は、ただ上へ逃げる物語ではない。むしろ地上階を過剰に演出する。porte cochère の天井には金色の間接照明、受付背面には縞の入った大理石、モデルルームの水栓は Grohe、キッチンには built-in oven。エレベーターは private と service に分かれ、荷物と来客の動線まで描き分ける。高層階の静けさより先に、雑多な街路から自分だけ切り離される手順を売っているのである。
宗教の扱いも同じだ。正面のビジュアルにモスクの尖塔は出てこないが、設備一覧には musholla が入る。ラマダン販促の時期でも前面に来るのは prayer ではなく serenity、family comfort、clean design だ。信仰を隠しているのではない。高級広告の文法では、礼拝室はラウンジやジムと同じ列に置かれ、静かに完備されていることが価値になる。ここでも露骨なのは敬虔さではなく、摩擦のなさである。
要するに、ジャカルタの高級住宅広告が売っているのは眺望ではない。道路の渋滞、読めない雨、来客と使用人と家族が同じ入口でぶつかる気まずさ、その全部から手順よく距離を取る権利だ。東京湾岸のように海を反射して終わらず、シンガポールのように都市全体の整いを借りもしない。都市が荒れている前提を消さず、その上に滑走路のような帰宅動線を一本引く。そこがジャカルタの広告のうまさであり、いやらしさでもある。