第3回も編集部の依頼で読んだ。三回続けて読むと、褒めるところも心配するところも、だんだん解像度が上がってくる。良い点から。
まず、キューの分類が比喩で歪んでいない。FIFO=来た順、LIFO=積んだ順、優先度=重要度の順、という三分法を、冷蔵庫の牛乳・アイロンの山・弁当の締め切りにそれぞれ素直に当てている。とくに「山にした時点で、一番古いものを一番後回しにする決定を自動でしている」という一文は、LIFOの本質(後入れ先出し)を家事の物理に正しく翻訳していて、今回いちばんの収穫だ。スタックの底が構造的に取り出されない、という性質を「誰も決めてないのに積んだ形が決める」と言い換えたのは、概念に何も足さず何も引かずに運べている。第二に、飢餓(starvation)のエイジング提案が、説教に転ばなかった。これは後で経過観察でも触れるが、シマダが「三回後回しにしたら四回目は先頭に」と処方を出した直後に、マキノが「でもうちは持ち込んでないので、四ヶ月底にあるんですよ」と引き戻す。処方を出してから自分で無効化するこの呼吸は、前回まで心配していた「家事に説教が混じる」危険を、むしろ笑いに変えている。第三に、締めの着地。「分かったから出す、にはならないんですよ。山ってのは、そういうところです」——知識と行動の落差で閉じる重心は、#1の「溜まるものは溜まる」、#2の「三回なくした」と完全に同じ系列で、もう完全に型として定着した。
前回までの指摘の経過観察。固有の数(◎。十五部屋・九時・十二時着・四ヶ月・皿四枚・カップ二つと、今回も豊富)と締めの重心(◎)は今回も維持された。前回いちばん注文した「まさに○○です」というシマダの言い直しは、減ってはいるがまだ残っている(後述1)。比喩の固定(速さと量の混線)への自己防衛も、リード文と本文で「今日は順番に絞る、量は別」と繰り返し断っていて、これは前回褒めた設計の継続だが、前回「断りは一度だけに」と注文した点が今回また三度出ている(後述4)。そして三回続いたので、新しい観点を一つ。毎回「シマダが概念を出し、マキノが現場で受ける」進行がパターン化していないか——型の固定そのものを、後述6で見る。以下、第一稿からそのまま引いて挙げる。
「食品のローテーションと呼ばれるあれが、まさにFIFOです。」/「アイロン待ちが、まさにそれです。」/「洗濯かごが、まさにバッファです。」
前回のレビューでいちばん注文した型だ。第3回は、これがマキノの口にも移っているのが今回の進歩でもあり、新しい課題でもある。「アイロン待ちが、まさにそれです」はマキノの台詞で、彼女自身が概念に具体を当てに行っている——これは後述6で評価する「逆流」の芽だ。一方シマダの「まさにFIFOです」「まさにバッファです」は、前回指摘した「具体を概念の実例に格下げする」語法のまま残っている。回数は#2より明確に減ったので、経過観察としては前進と見る。あと一歩、シマダ側の「まさに〜です」を概念名一語の受け(「——FIFOですね」で止める)に削れば、この宿題は卒業できる。マキノが自分から概念に寄せる場面が増えた今、シマダがいちいち裏書きする必要はもうない。
「ものが入ってくる速さを到着率、片づける速さを処理率という。単純な話で、到着率が処理率を上回ると、列はどんどん伸びる。追いつかないんだから、伸び続けるしかない。」
定義(到着率・処理率)は正確だし、「上回れば伸び続ける」も方向としては正しい。気になるのは「単純な話で」と言い切ってしまうところだ。行列理論のいちばん効く知見は、実は到着率が処理率を下回っていても、両者が近づくと待ち行列は急に伸びる——しかもばらつき(到着の波・処理時間のムラ)があるほど伸びる、という点にある。家事はまさにこのばらつきの世界で、「平均では追いついているのに、週末だけ流しが溢れる」のはこれだ。いまの稿は「到着>処理なら溢れる/そうでなければ大丈夫」という二値の印象を与えかねず、実感(ぎりぎり回しているときほど一回の来客で詰まる)とずれる。処方は重くしなくていい。「上回ると伸びる」の後に半文、マキノに「ぎりぎりで回してると、一組多いだけで一気に詰まりますね」のような波の話を一言こぼさせれば、二値ではなく「近づくほど危ない」が伝わる。概念語を足すのではなく、具体で混雑のばらつきを運ばせるのがこのシリーズの作法のはずだ。
「前回の言い方で言うと——全部最優先は、優先度なしと同じ。優先度は、つけないものがあって初めて効く。全部に『一軍』の札を貼ったら、札の意味が消える。前回の調味料と、同じ話なんです。」
論理は正しい。優先度キューで全タスクを最高優先度にすれば、比較は無意味になり実質FIFOに戻る——これはその通りだ。問題は構文で、これは#2の「全部一軍は、一軍なしと同じ」を、語を入れ替えてそのまま再演している。既刊への呼応はシリーズの背骨で歓迎だが、前回の標語を型ごと借りてくると、呼応が「再利用」に見えてくる。読者は「#2でも同じ形を読んだ」と気づき、感心ではなく既視感が残る。呼応するなら、同じ結論を別の入り口から言いたい。たとえば#3固有の論点——優先度キューは「出すたびに比べる手間」がコスト、という本文ですでに立てた良い軸——から、「全部急ぎにすると、その比べる手間だけが残って、列は結局来た順に戻る」と#3の語彙で畳む。そうすれば「#2と地続きだが、#3独自の発見がある」になる。「前回の調味料と同じ話」と明言してしまうと、なおさら再放送に近づく。明言は外して、気づく読者だけが気づく置き方にしたい。
「量の話に滑りそうになったら、その都度断って通り過ぎる。」(リード)/「それは『並べていっぺんに』の話で、今日の順番の話からはみ出す。」(5)/「これも今日の順番からは外れる。次回以降に。」(6)
これは前回とまったく同じ宿題だ。第2回のレビューで「『速さと量を分ける』という設計は支持するが、断りが三回出ると言い訳の口癖に見える」と書いた。第3回も設計(テーマを一つに絞る)は正しいのに、「今日は順番だけ、量は別」の断りがリード+本文二箇所でまた三回になっている。とくに5の食洗機・6のバッファは、どちらも「並べていっぺんに」へ滑りそうになって自分で引き返す同じ動作で、読者は二度目で意図を理解しているから、三度目は前置きなしで地の文を通り過ぎてよい。処方は前回と同じ——断りはリードで一度だけ正式に置き、本文では「これは次回の領分」と前置きせず素通りする。前回出した宿題がそのまま残っているので、今回は強めに繰り返しておく。
「列は遅延の象徴に見えて、実は『あとでまとめて』を可能にしている。溜まること自体は、罪じゃないんですね。」(6・バッファ)
「分かったから出す、にはならないんですよ。山ってのは、そういうところです。」(7・締め)
これは前回も指摘した「山が二つ」問題の再発だ。6のバッファ=「溜まるのは悪じゃない」は、それまで「溜まる・後回し・飢える」と積み上げた論を反転させる思想的な山場で、密度が高い。ところが直後の締め(7)で、マキノが「分かったから出す、にはならない」ともう一段深い反転——知識と行動の落差——を置く。反転が二連続すると、6でいちど着地した気持ちが7で仕切り直しになり、いちばん効かせたい締めの落差が薄まる。前回と同じ処方を出す。(a) 6を「列にも良い面がある」程度の紹介トーンに落とし、「罪じゃない」という断定的な締め文句を引いて、思想的な山は7の一つに絞る。(b) もしくは6を締めに回し7を前に出す。(a) を推す——「今夜もその上に載せます」で閉じる現状の順序は完璧なので、手前のバッファの山を低くするだけでいい。型として、各回とも「最後のマキノの一言」が締めなのだから、その手前に思想の山を置かない、を今後の設計指針にしたい。
「差を縮めるなら、二つしかないですよね。入ってくるのを減らすか、片づけるのを増やすか。」(マキノ・5)/「ホテルの客室、皿が四枚しかないんですよ。(中略)溜まる上限が、最初から決まってる。」(マキノ・5)
三回続いたので、シリーズ全体の型を見たい。#1も#2も#3も、「シマダが概念名を出す→マキノが現場の具体で受ける」という一方向の進行が骨格になっている。これ自体は対談として悪くないが、毎回これだけだと役割が固定化し、マキノが『概念の証人』に固定される——前回いちばん心配した点の、構造版だ。そこで朗報。第3回は、マキノから概念側へ逆流する瞬間が初めてはっきり出た。引用した「差を縮めるなら二つしかない、入りを減らすか出しを増やすか」は、シマダが到着率・処理率を説明する前にマキノが結論を先取りしている。続く「皿が四枚」も、シマダの「到着を減らす」という処方を、マキノが現場の運用(物の数で天井を決める)で先に体現していた例だ。ここではシマダが「到着率を、物の数で天井に押さえているんですね」とマキノの実践を概念で追認する側に回っていて、いつもの矢印が逆を向いた。これは型を破る貴重な瞬間で、第二稿ではもっと増やしてほしい。各回に最低一度、マキノが概念を先に言い当て、シマダが「それを我々はこう呼びます」と後から追いつく場面を意図的に作る。そうすれば「出題者と受け手」の固定が崩れ、設定どおりの対等な持ち寄りになる。型は、三回目で一度ゆさぶると長持ちする。
「第4回はスケジューリングを取り上げる。(中略)順番に手番を回すラウンドロビン、間に合わせるべき締め切り(デッドライン)、進行中の作業を中断させる割り込み——」
予告は具体的で良い。だがこれも前回・前々回と同じ宿題で、予告ブロックだけにあって本文に伏線がない。第3回は素材がそろっている。マキノが何度も口にした「フロントからの割り込み」はスケジューリングの割り込み(プリエンプション)そのものだし、優先度キューの「出すたびに比べる手間」はスケジューラのオーバーヘッドに地続きだ。さらに彼女は「フロアの端から順にやるしかない」とも言っている——これはラウンドロビン(順番に手番を回す)の現場名だ。本文のどこかで、マキノに「急ぎが無いときは、端の部屋から順繰りに回すだけ」のような一言を残させておけば、第4回がその回収になる。シリーズの背骨を一回ごとに継ぐ仕掛けは、三回連続で宿題のまま残っている。第二稿でぜひ一つ仕込んでほしい。
第3回は、キューの三分法(FIFO・LIFO・優先度)を比喩で歪めずに運び、飢餓のエイジング提案を説教に落とさず、締めの落差で閉じた。とくに「積んだ形が後回しを自動で決める」というLIFOの翻訳と、マキノが処方を自分で無効化する呼吸は、シリーズの財産だ。固有の数と締めの重心は今回も安定している。
進歩した宿題が一つ、残った宿題が二つ。進歩は「まさに○○です」の減少(1)——あと一歩で卒業。残ったのは、まず「量は別」の断りがまた三回(4)とクライマックスがバッファと締めで二度立つ(5)。どちらも前回と同じ処方で、断りは一度に、思想の山は締めの一つに絞れば、いちばん効かせたい「今夜もその上に載せます」がもっと効く。もう一つは概念の精度で、到着率>処理率を「単純な話」と言い切ると、ばらつきで詰まる実感とずれる(2)。比喩がうまいぶん、ここだけ二値に見えると惜しい。
そして三回続いたシリーズへの提案を一つ。型をゆさぶること。「シマダが出題しマキノが受ける」一方向が固定化しかけているが、第3回にはマキノが概念を先に言い当てる逆流(皿四枚・差は二つしかない)がすでに芽生えている(6)。第二稿では、これを意図的に各回一度は作ってほしい。既刊への呼応(#1の流し・#2の一軍)も、語を借りた再利用ではなく、#3独自の語彙で言い直すと再放送に見えない(3)。
意味は具体物が運ぶ、概念語が運ぶのではない——三回読んでも、この原則は有効だ。皿四枚と四ヶ月のワイシャツが、今回もそれを証明している。第4回のスケジューリングを楽しみにしている。