止めてみないと、見えない
——家事のコンピュータサイエンス #11(特別編):障害注入とカオスエンジニアリング(第一稿)

シマダマキノトモエ

このシリーズは、第10回で完結した。掃除・洗濯・炊事・名もなき家事を、コンピュータの言葉で一つずつ捉え直して、十回でひと区切りにした。——その後、マキノさんが、ある映画を観た。『女性の休日』。一九七五年、アイスランドで、女性のおよそ九割が、仕事も家事も、まる一日、いっせいに手を止めた日の記録だ。観た、と連絡をもらって、もう一回だけ、特別編をやることにした。

今日の当てどころは、これまでと、すこし毛色が違う。動いているものの価値は、止めてみるまで見えない、という一点です。コンピュータの世界には、それを正面から扱う、ちょっと物騒な技術があって。わざと壊して、隠れた依存を探す——カオスエンジニアリング、障害注入。それと、抜いてみて、性能の落ち方で、その部品の値打ちを測る——除去実験。この二つを持ってきます。そして最後に、いちばん苦い話を一つ。測っていないものは、最適化のときに、真っ先に削られる。——ことわっておくと、これは「家事は尊い」と持ち上げる回ではありません。止める、という観測装置の話です。

カオスエンジニアリング——わざと壊して、依存を探す

シマダ まず、物騒なほうから。大きなサービスを動かしている会社が、本番のシステムを、わざと壊すことがあるんです。動いているサーバを、わざと一台、止めてみる。ネットフリックスという会社が始めたカオスモンキーという仕掛けが有名で、放っておくと、サーバをランダムに落として回る。自分たちの本番に、自分たちで、猿を放つわけです。

マキノ ……動いてるものを、わざと。なんで、そんな怖いことを。

シマダ 依存が、分からないからです。「ここが落ちても、こっちが肩代わりするはず」と、図には描いてある。でも、図に描いた依存と、本当の依存は、たいてい違う。本当はどこが何に支えられているかは、壊れたときにしか、姿を現さない。だったら、いつか勝手に壊れて大事故になる前に、平時に、自分でわざと壊して、見つけておく。これをカオスエンジニアリング、障害注入といいます。動かしてみないと依存は分からない、なら、止めてみる。

マキノ ……それ、#7でやった「不在の日」と、同じ話ですか。私が一日いないと、家族がノートを開くしかなくなる、っていう。

シマダ 近いんですけど、ちょっと違うんです。#7のは、備えが戻せるか確かめる話だった。ノートという備えが、もう用意してある。それが本当に使えるかを試す。今日のは、その手前。そもそも、何が自分に乗っているか、分からない。だから、止めて、探す。備えの確認じゃなくて、依存の発見のほうです。

マキノ 現場で、ちょっと似たこと、あります。新しく入った子に、引き継ぎをするでしょう。そのとき、私が全部口で教えるより、わざと一工程、抜いてやらせてみるほうが、早いんですよ。たとえば、ベッドメイクの前に、いつもやってる、マットレスの位置をちょっと直す、っていう一手がある。これ、地味で、誰も大事だと思ってない。で、新人にそれを飛ばさせると、シーツの角が、どうしても合わなくなる。あ、さっきのが効いてたんだ、って、抜いてはじめて、本人が分かる。

シマダ ——それ、まさに障害注入です。マットレスを直す一手が、何を支えていたか。説明じゃなくて、抜くことで見せた。図で教えるより、止めて見せたほうが、依存が一発で分かる。

女性の休日——国ぜんたいに、猿を放った日

シマダ その、国ぜんたいの版が、マキノさんの観た映画なんです。一九七五年十月二十四日、アイスランド。女性のおよそ九割が、その日、仕事に行かず、家事もしなかった。料理も、洗濯も、子どもの世話も、レジ打ちも、電話交換も、全部、止めた。首都に、二万五千人が集まった。

マキノ 観てて、いちばん覚えてるのが、その日、お父さんたちが、子どもを職場に連れて行くしかなくて。オフィスが、子どもだらけになって。あと、ソーセージが、店から消えたって。子どもに食べさせやすいから、みんなソーセージを買って、売り切れたって言うんです。なんか、その、ソーセージのところで、笑っちゃって、それから、ちょっと、泣きそうになって。

シマダ その日、国という大きなシステムに、何が起きたか。止まってはじめて、全部が見えたんです。学校が閉まる。工場が止まる。新聞が出ない。——動いているあいだは、誰も、その仕事が「そこにある」ことに気づいていなかった。止まった瞬間に、依存が、いっせいに姿を現した。これは、社会という分散システムに対する、計画された障害注入実験です。女性の休日は、アイスランドが、自分の国に、一日だけ猿を放った日だった。

マキノ でも、あれ、たまたま一日休んだ、っていうより、ちゃんと、みんなで申し合わせて、やったんですよね。

シマダ そこが、いちばん大事なところで。あとで、戻ってきます。——まず、止めると何が見えるか、を、もう少し続けさせてください。

除去実験——抜いてみて、落ち方で測る

シマダ 止めると、二つのことが分かるんです。一つは、さっきの「何が何に依存しているか」。もう一つが、今度はどれくらい効いていたか、という量のほう。コンピュータの研究で、除去実験、アブレーションといいます。たくさんの部品でできた仕組みから、一個だけ抜いて、どれだけ性能が落ちるかを見る。落ち方が大きければ、その部品はよく効いていた。落ちなければ、無くてもよかった。

マキノ 効いてるかどうかを、抜いて、測る。

シマダ 動かしているあいだは、測れないんですよ。全部がいっぺんに動いていると、結果は出るけど、その結果の、どこからどこまでが、誰のおかげかは、混ざって見えない。抜いたときの、落ち方だけが、その部品の貢献度を教えてくれる。逆に言うと——家事やケアの値打ちは、動いているあいだは、絶対に見えない。止まって、家がうまく回らなくなった、その機能不全としてしか、数字にならないんです。

マキノ ……それ、現場で、はっきり分かる日があって。私たちの清掃って、うまくいってるときは、お客さんは何も言わないんですよ。きれいなのが当たり前だから。気づかれない。でも、一個、抜けたとき——たとえば、浴室の鏡の、曇り止めを拭くのを、誰かが忘れた。そうすると、その一個だけ、クレームになる。私たちの仕事が、お客さんの目に見えるのは、いつも、抜けたときだけなんです。ちゃんとやってる二十二年は、見えない。忘れた一回だけ、見える。

シマダ それ、除去実験の、いちばん苦い形です。貢献は、抜けたときにしか可視化されない。だから、毎日ちゃんと効いている仕事ほど、評価されない。うまくいっている仕事は、透明になるんですよ。

測っていないものは、最適化されない

シマダ ここから、いちばん苦い話に入ります。コンピュータで、何かを良くしようとするとき——最適化といいますが——機械は、測っている数字だけを良くしようとするんです。速さを測っていれば、速くなる。でも、測っていない数字は、機械にとって、存在しない。存在しないものは、良くもされないし、それどころか、削っても、減点されない。だから、最適化は、測っていないものから、平気で削っていく。

マキノ 測ってないものは、無いことになる。

シマダ 無いことになる。そして、これが社会の規模で起きているのが、家事とケアなんです。国の経済の大きさを測るのに、GDPという物差しを使いますよね。あれ、家でやる家事や育児や介護は、入っていないんです。同じ料理でも、レストランで作れば数えられて、家で作ると、数えられない。測っていないから、経済の式の上では、家事は、ゼロなんです。ゼロだから、効率化のとき、真っ先に圧がかかる。

マキノ ……それも、現場であります。ホテルの清掃の点数表って、目に見えるところしか、項目が無いんですよ。シーツの皺、ゴミの有無。で、項目に無い仕事——たとえば、次のお客さんが気持ちよく入れるように、空気を入れ替えて、匂いを抜いておく、みたいなのは、点数表に載ってない。載ってないと、忙しい日に、「それ、点数にならないから、飛ばしていいよね」って、上から言われる。測ってないものから、削られていくんです。本当に。

シマダ まさにそれです。測っていない仕事は、最適化の損失の式に出てこない。出てこないから、削っても痛みが見えない。——で、ぼくは、ここで、何か立派なことを言いたくなるんですけど。たぶん、それは、しないほうがいい気がします。

止められない、という非対称

シマダ さっき、「あとで戻る」と言った話に、戻ります。なぜ女性の休日は、たまたまの一日じゃなくて、みんなで申し合わせて、やったのか。——ここに、カオスエンジニアリングの、いちばん大事な前提が、隠れているんです。実は、ネットフリックスは、本番に猿を放つ前に、「一台落ちても、お客さんに影響が出ない仕組み」を、先に作ってある。安全に壊せる状態にしてから、はじめて、わざと壊す。カオスエンジニアリングの大前提は、「安全に止められること」なんです。

マキノ ……家事は、そこが。

シマダ そこが、違うんです。家事とケアは、安全に止められない。私が皿を洗わない実験をしました、では済むけど、私が今日、子どもにごはんをあげない実験をします、要介護の親のおむつを替えない実験をします、は——できない。止めた瞬間、本当に、誰かが困る。命にかかわることすらある。だから、カオスエンジニアリングが、いちばんやりたい場所で、いちばんできない。止めて測りたいのに、止められない。これが、家事の、残酷な非対称です。

マキノ ……だから、あの日のアイスランドは。

シマダ そう。だから、みんなで、いっせいに、だったんです。一人で止めたら、その人の家の子どもが困るだけで終わる。でも、九割がいっせいに止めれば、止めるコストを、社会ぜんたいで引き受けることになる。子どもは、父親が見るしかなくなる。誰かに皺寄せして、こっそり休むんじゃなくて、休むコストを、連帯で、表に出した。女性の休日が「祝祭」の、お祭りの形をとったのは、たぶん、それが、止められないものを、一日だけ、安全に止めるための、唯一の方法だったからなんです。

マキノ ……私、一日も、止められないんですよ。うちは、母の介護があるから。デイサービスのない日は、私が見るしかない。実験してみます、って、言えない。だから、あの映画を観て、うらやましかったのと、ちょっと、悔しかったのと、両方でした。

止めてみないと、見えない

シマダ 今日の核心に、戻ります。動いているものの価値は、止めてみるまで見えない。家事とケアは、止めたときの機能不全としてしか、可視化されない。なのに、いちばん止められない。——マキノさん、これ、家で、どうしようもあるんでしょうか。それとも、無いんでしょうか。

マキノ 全部は、無いです。全部は止められない。それは、はっきりしてる。——でも、映画を観て、一個だけ、やってみたことがあって。日曜の夜の、食器の片づけ。あれ、私がずっと、何も言わずにやってたんです。家族は、たぶん、皿が勝手に消えてると思ってた。で、一回、宣言したんですよ。「今日の夜は、私、お皿やらないからね」って。やらなかった。そしたら、次の朝、流しに、山みたいに残ってて。夫と子どもが、それ見て、はじめて、「あ、これ、毎日、誰かがやってたんだ」って、顔をした。

シマダ ——それ、家庭サイズの、障害注入ですね。安全に止められる一個を、選んで、わざと止めた。

マキノ そう。皿は、一晩なら、安全に止められる。子どものごはんは止められないけど、日曜の夜の片づけくらいなら、一晩、山にしても、誰も死なない。だから、それを選んで、止めた。#7のとき、止まると困る小さいやつを、紙一枚で、家族の頭に出しておく、って話をしたでしょう。あれと、ちょっと違うんです。あれは、知識を、二人にする話。今日のは、見えてなかった私の手を、一回だけ、見えるようにする話。やってるあいだは、透明だから。一回、止めて、山にして、見せる。

マキノ でも、これも、万能じゃないですよ。止めて見せて、それで夫が代わってくれるかっていうと、次の週には、また私がやってたりする。一回見せたくらいじゃ、配置は、そんなに簡単に変わらない。——ただ、あの、山になった皿を見たときの、家族の顔。あれだけは、本物でした。透明だったものが、一晩だけ、色がついた。それが見られただけでも、止めてみた甲斐は、あったかなって。全部は無理。でも、一個なら、止めて、見せられる。それが、私が、映画から持って帰ったことです。

おわりに(特別編)

このシリーズは、第10回で「最適な家は、たぶんない」と言って、終わった。最適化には正解が無い、というのが、十回ぶんの結論だった。——今日の特別編は、その続きであり、裏でもある。最適化の前に、そもそも測られていないものがある。測られていないものは、最適化の式に乗らず、透明なまま、削られていく。止めてみる、というのは、その透明なものに、一日だけ、色をつける方法だった。シリーズは終わったが、止まったときにしか見えないものは、まだ、家じゅうに、たくさんある。

——家事のコンピュータサイエンス・完(特別編を添えて)

このシリーズについて

#1 コンテキストは流しに溜まる#2 一軍は、コンロの脇に#3 洗濯物は、列に並ばない#4 十二時は、動かせない(ゲスト: イノウエミドリ)/#5 台所に、二人は立てるか#6 捨てるのは、誰の仕事か#7 お母さんしか、知らない#8 「やっておいて」の中身#9 焦げた鍋の、例外処理#10 最適な家は、たぶんない

「家事のコンピュータサイエンス」は、シマダ(AI使用法研究者)とマキノトモエ(ホテル客室清掃員22年)の対談シリーズです。全10回で完結し、本編は特別編として、映画『女性の休日』に寄せて書かれました。生成エッセイの現在地に戻る。

レビュー
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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。映画『女性の休日』(原題 The Day Iceland Stood Still、2024年、1975年のアイスランド「女性の休日」を描いたドキュメンタリー)に着想を得た第一稿です。