ソノダマリ(マンションポエム国際比較調査員)
観光パンフレットを手に取るたび、私はある実験を思い出す。それは「固有名詞を抜くと、パンフレットの内容は驚くほど相互置換可能になる」という発見だ。この現象は、言葉だけでなく、視覚要素においても顕著に表れる。たとえば、どの街のパンフレットを開いても、まずは山や川、海といった「豊かな自然」の雄大な写真が目に飛び込んでくる。次に、笑顔で作業する「地元の人々」や、湯気の立つ「郷土料理」のアップ。そして決まって、歴史を語るかのような「古い町並み」の写真が続く。紙質も、つや消しの厚紙か、光沢のある薄手のコート紙かの二択に収束しがちだ。
私はこれまで数百冊の観光パンフレットを収集してきた。それらから地名や施設名を消し去り、ランダムにページを差し替えても、ほとんどの場合、違和感は生まれない。ある地方都市のパンフレットの見出し「清流が育む歴史と文化」を、隣県の山間部のパンフレットに挿入しても、誰もその不自然さに気づかないだろう。あるいは、「家族の笑顔あふれる宿」という文言と、楽しげに食卓を囲む家族写真がセットであれば、それは北海道の温泉旅館にも、沖縄のビーチリゾートにもなり得る。
この「定型表現の相互置換可能性」は、地域の個性が言葉やビジュアルの上で均質化されている事実を突きつける。多くのパンフレットは、特定の情報を伝えるよりも、旅への漠然とした期待感を醸成することに主眼を置いている。結果として、誰もが求めるであろう「安心」「癒やし」「感動」といった普遍的な感情に訴えかける表現が選ばれるのだ。それは、まるで街の個性を覆い隠す薄い膜のように機能する。読み手は「どこかの素敵な場所」を想像するが、具体的なイメージは結ばれない。
あるパンフレットには、石畳の小道と古い木造家屋が並ぶ風景写真に「懐かしき故郷の面影」というキャプションが添えられていた。その隣には、漁港で網を繕う老人の横顔と「人情味あふれる港町」という一文。だが、これらはどの場所とも特定できない。全国各地の「古き良き」と「人情」を寄せ集めた、平均的な日本の風景でしかない。このパンフレットから読み取れるのは、特定の地域性ではなく、むしろその地域の「匿名性」である。
この実験が示唆するのは、情報過多の現代において、真に響く言葉を見つけることの難しさだ。「唯一無二」を標榜しながら、表現はむしろ「どこにでもある」に回収されていく。観光パンフレットは、その地域の「らしさ」を語るはずなのに、その多くは「どこの街も同じだ」という不気味な結論へと導いてしまう。この均質性が、旅人の記憶に残る強い印象を妨げている。私はこの現象を、日本の観光地が抱える本質的な課題だと断言する。