キサラギレナ(33歳・水産缶詰工場の品質管理11年)
缶詰は、開けて確かめられない。開ければ、それはもう売り物ではない。確かめられないものの合否を、私たちは出す。十一年、その仕事をしている。
二〇一五年、二十二歳で、私は港町の水産缶詰工場の品質管理に入った。工場の前の道には、荷下ろしのときにこぼれた魚のうろこが乾いて貼りついていて、長靴で踏むと白く砕けた。最初に教わったのが、巻締めの検査だった。缶の本体と蓋を二重に巻き込んで密封する、ここが緩めば中身は腐る。先輩はそれを「缶詰の命」と呼んだ。
巻締めは、外からは判らない。だから切る。ラインから一缶を抜き取り、巻締めを薄く輪切りにして、断面を投影機に映す。見るのは巻締め厚さ、巻締め高さ、カウンターシンク深さ、そして引っかかり率。私の工場では巻締め高さの規格は二・八から三・二ミリで、ある朝の一缶は三・三五だった。〇・一五の超過。その釜の缶は止めた。〇・一五ミリが、止めるか流すかを決める。
先輩は、抜き取った一缶を私の手に載せて言った。「これは開けて確かめられない。だから切って見る。この一缶が、いま作っている全部の保証人だ」。保証人。その一缶は、もう誰の食卓にも届かない。何千缶の身代わりに切られて、捨てられる。投影機の脇の屑かごに落ちる音を、私はいまも覚えている。
レトルト殺菌の記録計も見た。釜の中の缶が、何度の熱を、何分浴びたか。ペンが描く線が規定温度に届かず、わずかにへこんでいたら、その釜は丸ごと廃棄になる。線一本が、人の安全と地続きだった。チャートを見ているとき、私は美しい使命など考えていない。ただ、線が谷を作らないかだけを見ていた。
朝はサバから始まる。水揚げされたばかりの原料を、目とえらと指で見る。良いサバは、背を押し返してくる。悪いサバは、指がそのまま沈む。漁のなかった日は、工場の段取りが丸ごと組み替わった。海の都合が、私たちの一日の都合だった。
打検は、いまも私にはできない。棒で缶を叩いて、音だけで中身の異常を聴く。入って三月めの夏、ベテランの検査員が一缶を叩いて「これ、ふくれかけてる」と脇に寄せた。私も同じ缶を叩いた。隣の缶と、同じ音にしか聞こえなかった。切って中を見たら、確かに内圧が上がっていた。彼の耳に届いて私の耳に届かないものが、世界にはあるのだと、そのとき初めて手で触れた。
缶詰の賞味期限は三年。今日切った断面も、今日見た〇・一五ミリも、三年後に誰かが開ける一缶につながっている。十一年で出した合否は、もう数え切れない。流した缶のことは、ひとつも覚えていない。覚えているのは、止めた缶のほうだ。三・三五ミリ。ふくれかけた一缶。屑かごに落ちた、保証人の音。