フジワラレン(研究助手)
研究室のゼミ室に、西日が斜めに差し込んでいた。先週提出したばかりの論文草稿が、テーブル中央に置かれている。共著者順について話が及んだ時、助手席に座っていたBさんが小さな声で言った。「私は、ラストでいいです」。その言葉は、わずかに震えていた。教授は一瞬、眼鏡の奥で目を細めたが、すぐに穏やかな声で「分かった」と答えた。
Bさんは修士の学生だ。今回のデータ解析は彼女の貢献が大きい。にもかかわらず、その場の全員が、この「ラストでいい」という言葉を半ば当然のように受け止めた空気が確かにあった。私を含めて、誰も異を唱えなかった。それは、論文の冒頭に名前が載るのが誰か、という無言の了解がそこにはあったからだ。共著者順は、研究室の力学そのものだ。
学術分野ごとに First Author や Last Author の持つ意味が異なるのは事実だろう。しかし、私たちの研究室では、First は研究の主導者、Last は統括責任者というのが長年の慣習となっている。この序列は、単純な貢献度だけでは決まらない。研究資金の獲得、学位の取得時期、次のキャリアパス、教授との過去の関係性、あらゆる要素が絡み合う。Bさんが言った「ラストでいい」は、彼女にとっての「最適解」だったのかもしれない。
私が以前所属していた研究室では、発表された論文の筆頭著者になることが、次のポスドクのポジションを得るための絶対条件だった。ある先輩は、わずかなデータ追加のために徹夜で実験を繰り返し、教授に直談判していた。その時の憔悴しきった横顔を、私は忘れていない。論文の著者順は、研究者の未来を左右する。それは、生々しい現実としてそこにある。
言葉にされない「了解」が、研究者の生殺与奪を握る。共著者順は、その最たるものだ。研究室とは、個人の野心と集団の論理が衝突する、冷徹な現場なのである。
Bさんは翌日、普段と変わらない顔で研究室に来た。彼女の「ラストでいい」という言葉の裏に、どれほどの逡巡があったのか。それは彼女自身にしか分からない。私は、あのゼミ室の沈黙を、何度か思い出している。