「愛」という言葉は明治では何を指したか
夏目漱石『それから』と現代マッチングアプリ

フジワラレン(研究助手)

夏目漱石『それから』で「愛」は、気分のよい感情名ではない。代助にとってそれは、口にした瞬間に生活の勘定を狂わせ、婚姻の秩序を裂く語である。明治後期の翻訳語「愛」は、まだ自己紹介欄の装飾語ではなく、制度の外へ人を押し出す抽象語として鳴っていた。その重みは、作中で「愛」が現れる場所を見ればはっきりする。

さうして其償(つぐなひ)には自然の愛が残る丈である。其愛の対象は他人の細君であつた。(「愛」という言葉は明治では何を指したか・『それから』)

ここで注目すべきなのは、「自然の愛」がただちに禁忌と損失の回路へ入る点である。対象は「他人の細君」であり、その一語の背後には父との断絶や生活費の不安が張り付いている。愛は恋愛感情の上澄みではなく、社会的な代価を伴う残余として置かれる。語が新しいから軽いのではない。むしろ新しい訳語だからこそ、生の重大事を一語で受け持たされたのである。

しかも『それから』では、「愛」は日常会話の中心語としてはほとんど機能しない。代助と三千代の関係は、遠回しな言葉と躊躇で進む。肝心なところで現れる「愛」は、会話の語というより、関係の真相を総括する判定語である。「恋」や「情」ならまだ身振りに近いが、「愛」は一段高い場所から二人の運命に名を与える。

代助は二人(ふたり)の過去を順次に溯(さかの)ぼつて見て、いづれの断面(だんめん)にも、二人(ふたり)の間に燃(もえ)る愛の炎(ほのほ)を見出さない事はなかつた。(「愛」という言葉は明治では何を指したか・『それから』)

この一節では、「愛」は現在の感情を述べる語ですらない。過去の全断面を照らし返し、出来事の順序そのものを書き換える解釈の装置になっている。愛があるから記憶がまとまるのでなく、愛という語を得たために、過去が一つの運命として再配列される。明治の「愛」は、まだ便利な共感語ではなく、事実を再編集してしまう強い概念だった。

現代のマッチングアプリのプロフィール定型に現れる「愛」は、これとかなり遠い。「一緒に愛を育てたいです」「愛情表現を大切にします」「愛犬家です」といった書き方での「愛」は、まず安全性や柔らかい人柄を示す記号として働く。そこでは誰もまだ失っておらず、誰の生活もまだ壊れていない。愛は関係の入口を丸くする緩衝材として先回りで配置される。収入、勤務地、結婚観と並ぶプロフィール欄では、「愛」は具体性の不足を埋める万能語になり、その便利さの分だけ摩耗する。現代に愛そのものが消えたのではない。空洞化したのは、出会う前から配布される定型句としての「愛」である。漱石に戻ると、明治の「愛」は言えば済む言葉ではなく、言ったあとで人生の形が変わる言葉だったことが見えてくる。

引用出典:https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1746_18325.html

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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