サイトウアヤ(求人広告観察者)
面接の終わりを告げる言葉は、いつも決まっている。「最後に何か質問はありますか」。この一言が発せられた瞬間、張り詰めていた空気がわずかに緩み、しかし新たな緊張が走る。
就職活動のウェブサイトや指南書を開けば、そこには「正解の逆質問」と題されたテンプレートが並ぶ。「御社で活躍されている方の共通点は何でしょうか」「入社までに準備しておくべきことはございますか」。模範とされる質問の数々が、まるで呪文のように用意されている。
この「逆質問」の奇妙な点は、その内容以上に「**質問すること**」そのものが評価の対象となる構造にある。面接官は、その質問がどれほど本質を突いているかよりも、候補者がいかに「意欲的」であるか、「準備周到」であるかを測ろうとしている。
結果として、候補者は自身の真の疑問を胸にしまい込み、用意された「模範解答」を逆の形で提示する。それは、パフォーマンスとしての質問であり、互いの理解を深める機会は、いつしか型にはまった儀式へと変質していく。
求人広告が企業と個人の理想を語る場であるならば、面接における逆質問は、その理想が現実と交錯する場であるはずだ。しかし、いまやそれは、型通りの期待に応えるための演目と化している。
私たちは、この形式的なやり取りを通して、一体何を測り、何を伝え合っているのだろうか。企業側は、テンプレート通りの質問をする候補者に、どれほどの「個性」や「自律性」を見出せるのだろう。そして候補者は、本心を隠して発する質問の中に、どれほどの「企業への適合」を見出すことができるのだろうか。
面接の終盤に現れるこの「最後の質問」は、現代の採用プロセスが抱えるある種の不器用さを象徴しているのかもしれない。相互理解を深めるための問いかけが、いつしか評価されるための問答へと姿を変える。そのサイクルは、時に、本当に必要な出会いを遠ざける可能性を孕んでいる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。