鏡があると、待ち時間は短くなる
——子と歩く街で気づいたこと

私が最初にこの話を聞いたのは、産後復帰の研修だった。

あるオフィスビルでテナントから「エレベーターが遅い」と苦情が殺到していた。改修見積もりは数千万円。だが一人の専門家が、ロビーに鏡を置くだけで苦情がほとんど消えた、という事例を紹介していた。

そのとき私は、ベビーカーを押して4階建てのクリニックに行った日のことを思い出していた。エレベーターは1基。3階で止まってなかなか降りてこない。後ろに人が並ぶ。実測すれば2分くらいだったはずだ。だが、その2分が永遠に感じた。子は泣きそうで、後ろの人は時計を見ている。

降りるエレベーターの中で、私は気づいた。私を苦しめていたのは「2分」ではない。「忘れられた感」だった

エレベーターが速くなれば、それは消える。けれど、ロビーに鏡があれば? 後ろの人と目が合えば? あるいは「混雑しています、お待ちください」の音声が一言あれば? たぶんそれだけで、私はあそこまで追い詰められなかった。

これは、目的関数の話だ。そう書くと急に固くなる。けれど育児の現場ほど、目的関数の選び損ねが「人の尊厳」を削る場所はない、と私は思っている。

一.「遅い」と「不快」は別の問題

エレベーターが遅いのと、待つことが不快なのは、別の問題だ。

これを混同したまま「速くする」を選ぶのが、エンジニアリングの罠である。育児用品の世界にも同じ罠がある。「離乳食を作るのが大変」と聞くと、メーカーは時短家電を作る。フードプロセッサー、電気圧力鍋、製氷皿型の冷凍ストック容器。だが本当の苦痛は、しばしば「3食の献立を毎日考え続ける認知負荷」だったりする。家電は作業を時短するが、献立を組む脳の負担は減らさない。

問題の表現を素直に受け取って、それを最適化対象にしてしまうと、問題はずれたまま "解決された" ことになる。残ったままの不快感に、当人だけが気づいている。

組織は、聞こえた苦情に対応する。だが、聞こえなかった本音には対応しない。「遅い」と苦情を出した人は、「忘れられた」とは口にしない。それを口にできる言葉を、まだ持っていないからだ。

二.目的関数を変えると、最適解が変わる

オペレーションズ・リサーチ(OR)という分野がある。制約下での最適化を扱う応用数学だ。あの鏡の話は、ORの古典的な「目的関数の選び方」の問題に翻訳できる。

従来の目的関数: minimize(エレベーター待ち時間 [秒])
新しい目的関数: minimize(待機時の不快感 [感覚])

前者の最適解は「高速エレベーターへの交換」。後者の最適解は「鏡」。同じ問題に見えて、目的関数が変わるだけで、答えがまったく異なる。

育児で言えば、「離乳食の栄養素達成率を最大化」が目的なら、フードプロセッサーが正解。「子と過ごす穏やかな時間を最大化」が目的なら、惣菜と絵本が正解になる。栄養と時間は両立しないことがある。何を目的に置くかを選んだ瞬間に、最適解はもうほぼ決まっている。

ORの怖さは、ここにある。技術的に正しく解いても、目的関数が現実と噛み合っていなければ、計算は意味を失う。

三.問題設定こそ、解くことよりも本質的

経済学者ハーバート・サイモン(1978年ノーベル経済学賞)は『システムの科学』でこう書いた——「問題を解くとは、解が自然に見えてくるよう問題を表現することにほかならない」。プロジェクト失敗の多くは、計算ミスではなく、最初の問題定義のミスである。

これは育児にも当てはまる。「子が言うことを聞かない」と相談に来る親に、「言うことを聞かせる方法」を伝授するのは、最も簡単で、最も的を外している。「言うことを聞かない」は、当の親が口にできた最良の言葉でしかない。深掘りすれば、「子が話を聞いてくれない」「夫が分担してくれない」「自分の声が届かない」という、別の問題が顔を出す。

問題を再定義する作業は、聞く側の力量にかかっている。傾聴のスキルが、結果として最良の数学になる。これは比喩ではない。問題を解く技術より、問題を組み直す技術のほうが、結果に与える影響が大きい。

四.見えない価値を、どうデータにするか

「不快感」「安心感」「尊厳」は数値化が難しい。しかし、難しいからといって目的関数から外すと、それは "存在しない" ことにされる。

医療の現場では、PROM(Patient-Reported Outcome Measure)という考え方が広がっている。検査値や生存率だけでなく、「自分の人生をどう感じているか」を当人に問う。子育ての世界でも、最近は「親の主観的幸福感(subjective well-being)」を計測する研究が増えてきた。家事労働の経済的価値を試算する動きもある。

見えない価値をデータ化する難しさは、二段階ある。何を聞くかを決める段階と、誰が答えるかを決める段階。当事者研究の知恵は後者を強調する。当事者が「自分の問題はこうだ」と語る場を保障しないと、聞き手は永遠に「遅いエレベーター」しか聞き取れない。

ここで、グッドハートの法則が顔を出す——「測定対象となった指標は、その名義上の目的として機能することをやめる」。「待ち時間」を縮めようとすると、ロビーに人を立たせず別フロアで待たせる、というような "達成された感" だけが残る。指標は満たされ、苦情は消える。だが、人は依然として忘れられたと感じている。

五.なぜ組織は、いつも「速くする」を選ぶのか

理由は、たぶん3つある。

第一に、評価のされやすさ。「速くする」は技術的・定量的な解で、社内で予算を取りやすい。「鏡を置く」は人文的な解で、何を成し遂げたか説明しにくい。

第二に、責任の所在。「速くする」はエンジニアの担当範囲だ。「不快感を減らす」は誰の担当かわからない。HR? 心理? 接客? 担当が分散すると、問題は誰のものでもなくなる。

第三に、計測可能性。マネジメントは計測できるものを管理する。測れないものは経営できない——この信念が、見えない価値を視界の外に押し出す。

これに抗うには、組織の文化に「問題を再定義する余裕」を埋め込むしかない。心理的安全性とか、対話の場とか、すぐに解決を急かさない時間とか。それらは "効率" の対極に見えて、実は長期的な効率の条件である。

終章.鏡が映していたのは、本当は何か

なぜ鏡が、待ち時間を短くしたのか。

行動経済学的には、自己モニタリング効果(self-focus effect)と説明される。鏡を見ると意識が自分に向き、外的な経過時間への注意が減る。たしかにそうだろう。

だが、もう一段深く読みたい。鏡は、待っている人に あなたはここにいる と告げる。誰もあなたを忘れていない、誰の前にもあなたが映っている、という小さな証拠を渡す。そのとき人は、自分が見捨てられていないと知る。私たちは、何分早く到着するかではなく、誰かの視野に入っているかを気にする生き物なのだと思う。

ORは、この生き物のために作られたほうがいい。最適化の数式に「忘れられないこと」を、どうにかして書き込む方法を、私たちは探さねばならない。それは サブシディアリティ ——決定権を、もっとも適切な手元に留める考え方——とも繋がる。最適化を、上から押し付けるのではなく、影響を受ける人と一緒に組み直す。鏡を置くか、エレベーターを替えるかは、ロビーで待つ人と決めればいい。

ベビーカーでエレベーターを待ちながら、私は今でもそのことを考えている。次に「遅いね」と誰かが呟いたら、私は時計ではなく、その人の顔を見ようと思う。

松本 陽菜