橋の裏側を、叩く
点検士一年目、音で診ると決めるまで

ナルセケンゴ(49歳・橋梁点検士22年)

橋を渡る人は、橋の上しか見ない。私は二十二年、橋の裏側しか見ていない。橋桁の下、桁と桁のあいだの、日の差さない場所。そこにコンクリートの本当の年齢がある。上を歩く人の足取りは軽いが、その軽さを支えているのは、誰も見上げない灰色の天井のほうだ。

点検の道具は、思うより単純だ。打音検査用のハンマーは、柄の長さが五十センチほど。先が小さな球になっていて、これでコンクリートの表面を叩く。健全な箇所は、高く澄んだ音を返す。内部に浮きや剥離があると、音が鈍く、こもる。先輩は最初の日に、こう言った。「橋は音で嘘をつかない」。

二〇〇四年、私は二十七歳だった。点検士になって最初の春、橋梁点検車という車に初めて乗った。トラックの荷台からアームが伸び、ゴンドラが橋の側面を回り込んで、桁の裏側へ吊り下がっていく。地上から十数メートル。手すりの向こうは川で、川面に反射する光が橋桁に揺れて、灰色のコンクリートにゆらゆらと模様を描いていた。きれいだな、と思ったのを覚えている。

その日、初めて打音検査を任された。先輩は隣のゴンドラにいて、「好きなだけ叩け」と言った。私はハンマーを握り直し、桁の裏に当てた。コン、コン、コン。澄んだ音が返ってくる。健全だ。少しずつ位置をずらしながら、橋の裏側を端から叩いていった。同じ音が続くと、なんだか安心するような気がした。

どれくらい叩いただろうか。ある一点で、音が変わった。コン、ではなく、ボ、と濁った。心臓が小さく跳ねた気がした。もう一度叩く。やはり鈍い。先輩を呼んだ。先輩は近づいてきて、自分のハンマーで同じ場所を二度叩き、それから少し離れた健全な場所を一度叩いた。二つの音を、私に聞き比べさせた。「分かるか」。分かった。同じコンクリートとは思えないほど、音が違った。表面はどちらも、つるりとした同じ灰色なのに。

先輩はチョークを取り出し、その範囲を囲んだ。それから、ひび割れにクラックスケールという物差しを当てて、幅を読んだ。点検調書の損傷図に、位置と大きさを書き込んでいく。「目で見えるひびは、もう遅いほうだ」と先輩は言った。「中で剥がれてるのは、見えない。音でしか分からない」。私はそのとき、自分が見る人ではなく、聴く人になるのだと、なんとなく思った気がする。

頭の上を、車が通った。橋全体が、わずかにたわむのが裏側から分かった。桁が、ほんの少しだけ沈んで、また戻る。上を走る人は、たぶん何も感じていない。何も感じさせないために、橋はたわんで力を逃がしているのだ。その仕組みの一部に、いまさっき私が見つけた、あの鈍い音の場所も入っている。誰も見ない場所を叩いて回ることが、誰もが渡る場所を、静かに支えているのかもしれない。

橋は五年に一度、法定点検を受けることになっている。同じ橋に、五年後にまた来る。私はあの日に囲んだチョークの跡を、五年後にもう一度叩くことになる。音が悪くなっていれば補修、変わらなければ経過観察。橋の一生に、私は何度も立ち会う。上を渡る人が一度も会わない橋と、私は何度も会う。

あれから二十二年、私はずっと橋の裏側で音を聴いている。澄んだ音と、こもった音。その二つを聞き分けることだけで、一つの人生になった。人は渡るために橋を見て、私は支えるために橋を聴く。あの川面の光の下で初めてハンマーを握った一日が、私をいまの私にしてくれた。今日も私は、誰も見上げない天井を、コン、コン、と叩いている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。