査読の「より良い論文に」
——若手を潰す善意

※本エッセイはすべて創作です。登場人物・論文・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる個人・組織・著作とも関係ありません。

金曜日の午後、編集部から査読依頼のメールが届いた。査読期間は3週間。引き受ける癖が、まだ抜けていない。

原稿のPDFを開いて、コンビニまで歩いて両面印刷した。54ページ。レターサイズの束を抱えて研究室に戻る、その夕方の光のなかで、最初の一段落で息が止まった。

一.金曜日の、最初の一段落

ある社会学的研究だった。地方都市のシャッター商店街で、閉店した店舗のシャッターに描かれた絵——いわゆるシャッターアート——のフィールドワーク。著者は博士後期課程3年。投稿時の所属欄に旧字体の地名があり、巻末の謝辞には「A商店街振興組合および高木氏ご夫妻に、3年にわたるご協力をいただいた」とあった。3年。私の査読期間の52倍だ。

最初の段落は、こう始まっていた。「シャッターは、閉じている。それは、開かれていた時間の影として、街路に残されている」。

続きを読みたいと思わせる、そういう冒頭だった。研究論文の作法から言えば、もう少し研究目的を先に置いたほうがいい。リサーチクエスチョンが何で、先行研究との差分はどこにあって、どんな手法で何を明らかにするのか——そういう型から、この冒頭は外れていた。けれど、外れていることが、この論文の体温だった。

シャッターは閉じている。それは、開かれていた時間の影として、街路に残されている。

この一文を、印刷の束の上で読み返した。商店街がシャッター街になることは、研究としても語り尽くされている。けれどこの著者は、シャッターを「閉じたもの」ではなく「開かれていた時間の影」として書いた。シャッターを過去の残響として捉える視点は、私の知る先行研究にはなかった。少なくとも、こういう書き出しはなかった。

赤ペンを取った。査読コメント用紙に、最初のメモを書いた。「冒頭の一段落、印象的。ただし、研究論文として——」。そこでペン先が止まった。

二.「この章は弱い」と書いた瞬間

続きを読み進めるうちに、論文としての弱さは、たしかにあった。

第三章の理論枠組みが薄い。著者はアンリ・ルフェーヴルの空間論を引きながら、ルフェーヴル自身の「空間の表象/表象の空間」の区別を曖昧に使っている。第四章のフィールドワーク記述は迫力があるが、サンプル数が少なく、なぜその5枚のシャッターアートを選んだのかの選定基準が書かれていない。第五章の考察は、フィールドの記述に対して結論が大きすぎる。

査読者として書くべきことは、たくさんあった。

「第三章の理論枠組みについて、ルフェーヴルの空間概念の運用に揺らぎがあります。表象の空間と空間の表象の区別を、もう少し精密に……」「第四章のサンプル選定基準を明示してください」「第五章の考察は、フィールドの記述から結論への跳躍が大きいので、もう一段——」。

書きながら、ペン先が、何度も止まった。

このコメントは、たぶん正しい。論文の作法として、間違っていない。ルフェーヴルの読み方を整え、サンプル選定基準を書き、考察を抑制すれば、論文は通りやすくなる。職務として正確なことをしている、という感覚が、書きながらあった。それが親切と呼べるのか、職務と呼ぶべきなのか、書きながら、わからなくなった。

ペン先が止まったのは、コメントを書く一行ごとに、最初の一段落の体温が、少しずつ薄れていくのが見えたからだった。理論を整えれば、シャッターは「ルフェーヴルの空間概念における閉鎖領域」になる。サンプル選定基準を書けば、5枚のシャッターは「フィールド調査の対象として戦略的に抽出された事例」になる。考察を抑制すれば、「街路に残された開かれていた時間の影」は、「シャッター閉鎖が地域共同体の記憶構造に与える影響に関する示唆」になる。

そういう論文に、なる。査読が通る、論文に。

三.23個

査読コメント用紙が3枚目に入ったとき、窓の外で、雀が鳴き始めていた。1枚目の左上には、最初に書き写した「シャッターは、閉じている。」のメモが、まだ残っていた。机のマグカップは冷えきって、底に薄い輪ができていた。

金曜の夜が、土曜の朝になっていた。査読コメントを23個書き終えていた。

23個。手が止まった。修正必須コメントが11個、推奨コメントが12個。査読として標準的な数だ。むしろ丁寧なほうだ。けれど23個の指摘を受け取った著者の机を、想像してしまった。23個。一つ一つ、潰していく作業。

そのとき不意に、自分が20年前に受け取った査読コメントのことを、思い出した。

博士論文の中核となるはずだった一本目の論文。投稿してから半年後、編集部から査読結果が届いた。査読者は二人いた。一人目はアクセプト推奨、軽微な修正のみ。二人目は——いまでも覚えている——「全面的な書き直しを要する」というコメントから始まる、A4の指摘書だった。何枚あったかは覚えていない。最後のページの右下に、シャープペンシルの芯の折れた跡がついていた。読みながら、私が折ったのだ。

「本論文の理論的立脚点は曖昧であり……」。最初の一行は、そう始まっていた。続きの中に、こういう一文があった——「第四章の事例選定について、なぜこの三つを選んだのか、その判断基準が読み取れません」。

正しかったのだと思う。たぶん、いまの私が読み返せば、二人目の査読者は誠実な読者だった。理論の弱さを的確に指摘し、選定基準を求め、考察の根拠を求めた。あの人もまた、たぶん、より良い論文にしたいと思っていた。

あの夜から半年、その論文のフォルダを開かないまま、別のテーマで博士論文を組み直した。書こうとしていた論文は、書かれずに終わった。

あの論文の冒頭にも、たぶん、私だけの一段落があった。何を書いていたかは、もう覚えていない。書き直しの過程で、消えてしまったから。

四.3か月後の、再投稿原稿

査読コメントを23個から15個に減らした。修正必須を11個から7個に、推奨を12個から8個に。最初の一段落については、何も書かないことに決めた。書かないことで、残ることを願った。それが、できる範囲だった。

3か月後、編集部から再投稿原稿のPDFが届いた。

研究室の机で、印刷した束の表紙をめくる手が、少し冷たかった。最初のページを開いた。

消えていた。

「シャッターは、閉じている。それは、開かれていた時間の影として、街路に残されている」——その一段落は、ない。代わりに置かれていたのは、こういう書き出しだった。「本研究は、地方都市の商業空間における閉鎖店舗のシャッター装飾に関する事例研究である。先行研究(佐藤 2018; 田中 2020)が指摘してきた地域共同体の記憶機能を踏まえ、本稿ではアンリ・ルフェーヴルの空間理論を援用し、5事例の比較分析を通じて——」。

査読向けの、定型の冒頭だった。

15個のコメントは、すべて丁寧に対応されていた。理論枠組みは整理され、サンプル選定基準は明示され、考察は抑制されていた。論文は、たぶん、通る。私が見ても、これなら通ると思える論文になっていた。

そして最初の一段落は、消えていた。私が書かなかったコメントの代わりに、著者が自分で消していた。23個のコメントを受け取った著者は、査読者が指摘していない部分まで、自分で査読向けに書き直していた。

五.「より良い論文」

採否のコメント欄に、「掲載可」と書いた。書かないという選択肢はなかった。論文としては、明らかに改善されていた。査読システムとして、これは成功だった。著者はこの論文で博士号に近づき、私は査読者としての職務を果たした。

採用通知を編集部に送ってから、もう一度、最初のページを開いた。

「本研究は、地方都市の商業空間における閉鎖店舗のシャッター装飾に関する事例研究である」。

この文章は、誰のものなのか。著者のものではない。私のものでもない。査読システムの、誰のものでもないテンプレート。著者と私のあいだに置かれた、共有された定型。

机の引き出しに、3年前に学生に返した修論のコピーがある。あのときも、ペンが走りすぎた。今夜は、ペンを置いた。置いた手で、何が変わったかは、わからない。最初の一段落は、消えた。

20年前の自分の博論を消した二人目の査読者の声が、今夜、私の声になっていた。あの査読者を恨んだ夜があった。そして今夜、誰かが、私を恨むかもしれない夜を、過ごしているかもしれない。

「より良い論文」って、誰にとって、より良かったんだろう。

掲載される論文として、より良くなった。査読システムにとって、より良くなった。著者の業績として、より良くなった。けれど、最初の一段落を読んだ私の、金曜日の夕方の自分にとって、より良くなったのか。それは、わからない。あの体温は、もう、どこにもない。

査読の「より良い論文に」は、誠実な言葉だ。悪意はなかった、と書こうとして、ペン先が止まった。悪意がなかったことの証明書を、ここで書いて、どうする。

結び

シャッターは閉じている。それは、開かれていた時間の影として、街路に残されている。

この一文だけは、私の手元にメモとして残してある。査読コメント用紙の余白に、最初に書き写した一行。論文には載らなかった一行。著者本人も、もう持っていないかもしれない一行。

「より良い論文に」と書きながら、私は、何を消してきたんだろう。

来週、また査読依頼のメールが届く。私はまた、PDFを印刷する。最初の一段落で、息が止まる原稿に、また出会うかもしれない。そのとき、ペンを取るかどうかは、まだ、わからない。

分からないまま、週明けの午前、私は編集部に「掲載可」のメールを送る。それが、いまの私にできる、ぎりぎりだ。

書き手・ハヤシアヤカ(論文執筆サポーター)

本サイトの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。ハヤシアヤカは架空の書き手です。