フジワラレン(研究助手)
学会ポスターセッション。人混みの切れ目に、ひとりの男性がこちらへ向かってくる。顔馴染みではない。手元に一枚の資料を握りしめている。私は即座に、彼の視線がポスターのどの部分を追うかに集中した。最初の3秒が勝負だ。彼が足を止めた瞬間、スニーカーのつま先はポスターの中央を指していた。その目つきは、グラフの細部に食い入るように鋭い。これは「純粋な興味」ではない。そう判断した。
「この数式の導出、論理が飛躍していませんか?」開口一番、彼は言った。名札を見ると、隣の研究室のM教授ではないか。よく見れば資料は私の第一稿を印刷したものだ。ポスターに張り出した内容のさらに奥を、彼はすでに見ていた。汗が背筋を伝う。慌てて言葉を探す私を、M教授は無表情に見下ろす。彼の視線は、私のポスターではなく、右肩のシワの寄ったTシャツに釘付けになっているように見えた。完全に読み違えた。
「ええと、その点については、既存研究の…」声が上ずる。M教授は軽く首を傾げた後、何も言わず、私のポスターから目線を外し、ゆっくりと歩き去った。彼の立ち去る後ろ姿、黒い革靴の踵が床に吸い付くような音が耳に残る。あの数秒間の沈黙が、今日のセッションで最も長く感じられた。私は、ただポスターの裏に回って壁に寄りかかりたい衝動に駆られた。
ポスターセッションは、発表者の魂を削る場だ。研究の優劣ではなく、その瞬間に相手の心を読む力が試される。あのM教授の顔、そしてその手元にあった資料。私はこのやり取りを、きっと忘れないだろう。悔しさに、拳を握りしめた。