戦前の婚約告知・結婚報告の文体(第二稿)
親族新聞広告と現代の家族 LINE

ワタナベ(65歳・元会社員)

古い新聞の切り抜きは、菓子箱の底で少し波打っていた。紙は薄茶色で、指で持つと角がすぐ白くなる。欄の見出しは「婚姻」。四角い囲みの中に句読点なしで、誰それ長男、誰それ長女、媒酌人某、挙式何月何日、披露宴会場まで、横に詰まった活字が並ぶ。めでたい話なのに、読んだ印象はまず事務的だ。ところがその事務の押し出しが強い。二人の気分より先に、親の名と家の順番が紙面を占領している。

「此度両家の縁議整い候」

この一行のあとに続くのは、感傷ではなく列挙だった。私はそこに古風な奥ゆかしさより、むしろ見栄の匂いを嗅ぐ。媒酌人の肩書まで入れるのは、知らせというより披露に近い。昔の告知は慎み深かった、という説明では足りない。あれはかなり人目を意識した文だ。家どうしの結びつきを世間に見せ、同時に「うちはこの顔ぶれです」と差し出している。

一方で、姪が入籍した日の家族LINEは、軽快というより妙に整っていた。参加は十一人。午後二時十七分に「本日、区役所に届けを出しました」と来て、指輪でも役所前の写真でもなく、戸籍窓口でもらった番号札が一枚添えられた。最初に返したのは大阪の義兄で、赤いハートではなく、なぜか蝶ネクタイのうさぎのスタンプだった。三分で既読が九。遅れた二人は、あとで同じ文面をほとんど写したように「おめでとうございます。落ち着いたらまた集まりましょう」と返した。短いのに、順番も言い方もちゃんと気を使っている。

ここがおもしろい。新聞は重く、LINEは軽い、と切ると実物から離れる。新聞の告知には派手さがあり、LINEには儀礼が残る。形式が変わっても、結婚が二人だけで済まない場面は消えていない。ただ、前に出るものが違う。切り抜きでは親族名と媒酌人が先に立ち、LINEでは本人たちの一文が入口になる。その奥で、身内は返事の早さや文面の固さで位置を取る。画面は自由に見えて、案外きちんとしている。

会社勤めをやめてから、私は連絡の文面を前ほど気にしなくなった。それでも結婚の知らせだけは、誰が主役かが一行で露出する。古い新聞を読むと息苦しい。だが、あの押しの強さには現実があった。結婚は二人の感情だけでは回らないと、紙面が平然と書いているからだ。家族LINEの番号札の写真にも同じ種類の現実があった。浮かれた写真より、あの白い紙のほうがよほど正直だった。私はそこに、今の結婚の頼もしさと窮屈さの両方を見る。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。