ワタナベ(65歳、元会社員、名古屋在住)
朝、テレビをつければ天気予報。若い頃から変わらない習慣だが、最近は特にその言葉遣いに耳を傾けるようになった。「傘の準備をしてお出かけください」。このフレーズ、昔から聞いているはずなのに、なぜか妙に気になる。それは、番組の時間帯によって、その「ニュアンス」が少し違うように感じるからだろうか。
会社勤めの頃は、朝の支度で慌ただしく、天気予報も「雨か、晴れか」の結論だけを聞いていた。しかし、今は時間に追われることもなく、ゆったりとキャスターの言葉に耳を傾ける。朝の番組では、「傘の準備をしてお出かけください」は、どこか明るく、一日を始める人に向けたエールのような響きがある。テキパキとした口調で、必要な情報を簡潔に伝える。それが朝の顔というものだ。
ところが、夕方の番組になると、同じ「傘の準備をしてお出かけください」でも、少し語尾に「憂い」のようなものが混じるように感じられる。あるいは、「日中は汗ばむ陽気となりそうです」という言葉も、朝聞けば「よし、今日も頑張ろう」と活力が湧くのに、夕方聞くと「今日は本当に暑かったなあ」と、一日の疲れを振り返る言葉になる。同じ事実を伝えるのに、不思議なものだ。
そして、もう一つ。「朝晩は冷え込みますのでご注意を」。これもまた、時間の魔術にかかる言葉だ。朝であれば、今日の服装選びの参考になる現実的な注意喚起。だが、夕方になると、今日の冷え込みを予感させ、家に帰る道を急ぐ足元を少しばかり憂鬱にさせる。言葉そのものは変わらないのに、受け取る側の気分や状況で、かくも印象は変わるものか。
最近は、どの局のどのキャスターも、似たような言葉遣いになってきたと、ふと感じることがある。個性が際立っていた頃のキャスターは、それぞれの言葉の選び方や間合いで、天気の情報に奥行きを与えていた。例えば、「明日は傘が手放せない一日になるでしょう」と、少し語気を強めて訴える人もいれば、「念のため、傘をお持ちになった方がよろしいかと」と、柔らかな口調で促す人もいた。それが今は、まるで型にはめられたように、どこか画一的になったように思える。まるで、機械が生成したような言葉の羅列。情報としては正確でも、心に残る何かは薄れたのかもしれない。
以前、ある番組で、ベテランキャスターが天気図を指しながら、
今日の天気は、まるで人生のようですね。
と、ふと漏らしたことがあった。それは、天気予報という枠を超えた、その人なりの哲学のようなものを含んでいた。今では、そのような「余白」が少なくなったように感じる。情報としては正確でも、どこか心に響かない。便利になった時代だからこそ、私は、言葉の持つ力を改めて考える。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。