寺田寅彦が現代のコピペ文化を見たら
『柿の種』の随筆スタイルで Stack Overflow と ChatGPT を観察

フジワラレン(研究助手)

机の上に原稿紙がなくても、現代の書き手は常に何かを書き写している。ブラウザの一枚、エディタの一枚、端末の黒い窓、そのあいだを往復する指先の運動を眺めていると、文章の時代にあった引用癖が、いまはコードの時代に移って繁殖しているのがわかる。昔の人は警句を抜き書きしたが、いまの人は関数ごと抜き書きする。しかもその断片は、硯の墨より速く、失敗例ごと運ばれる。

しかし、これだけ集めてみて、そうしてそれを、そういう一つの全体として客観して見ると、その間に一人の人間を通して見た現代世相の推移の反映のようなものも見られるようである。(寺田寅彦が現代のコピペ文化を見たら・『柿の種』「自序」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card1684.html)

Stack Overflow という場所は、知識の倉庫というより、失敗の堆積した三角州に近い。質問者はたいてい、自分の誤りを十分に知らぬまま標本を持ち込む。回答者は、その標本の裂け目から周囲の地層を推定し、最短の補修材を投げ返す。そこで受け渡しされるのは、完成品ではなく、局所的に効く処方である。ところが読む者は、その局所を見落として万能薬として持ち帰る。すると、昨日は Python の質問であったものが、今日は TypeScript の現場で再利用され、名を変え、変数を変え、だいたい同じ故障を起こす。

コピペされたコードには、しばしば借り手の理解より先に作者の癖が宿っている。変数名の温度、コメントの湿度、例外処理の省略のしかたまでが、旅先で残る。実行に成功した瞬間、借り物は急に自家製の顔をするが、ログをよく見ると、出自の違う部品が異音を立てている。考えてみれば、引用という作用そのものは悪くない。問題は、切り取られた条件がどれだけ運搬に耐えるか、その見積りの粗密にある。

ChatGPT になると事情が少し変わる。ここでは、断片の出どころが一つの回答欄に見えなくなり、説明と生成と補筆が同時に行なわれる。Stack Overflow が化石層から標本を掘り当てる仕事だとすれば、こちらは実験室でそれらしい結晶を急速成長させる装置である。質問が曖昧でも返事は整い、コードはもっともらしい姿で並ぶ。その平滑さのために、初心者はしばしば正しさと流暢さを取り違える。だが流れる文章は、コンパイルの代役にはならない。返答が端正であるほど、検証の手つきはむしろ粗末にしてはならぬ。

この書の読者への著者の願いは、なるべく心の忙(せわ)しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたいという事である。(寺田寅彦が現代のコピペ文化を見たら・『柿の種』「自序」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card1684.html)

この願いは、そのまま現代のコード読みに移しても通用する。検索で拾った一答をすぐ貼り付け、対話で得た一案をすぐ走らせる習慣は、手を速くする代わりに、目を浅くする。ほんとうは一節ずつ間をおくべきなのである。貼る前に一度読む。読んだら一度削る。削ったら一度名を付け直す。そのわずかな停滞のあいだに、借りたコードはようやく自分の計算機の気候になじむ。

寺田寅彦がこの景色を見たなら、書き手の怠慢をただ叱るより先に、知識がどのような媒質を通って移るかを観察したであろう。Stack Overflow では人が人を通して伝え、ChatGPT では言葉が言葉を通して増殖する。どちらにも便利さがあり、どちらにも錯覚がある。現代のコピペ文化は、思考を省く技術ではなく、思考の摩擦係数を変える技術として眺めるほかない。摩擦が減りすぎれば、手はすべる。少し抵抗があって、はじめて書いたものが自分のものになる。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。