アンドウユイ(教務アシスタント)
六月の午後、会議室の長机で、主賓の挨拶原稿をA4で二枚受け取った。右上に「祝辞・七分」とあり、紙の端が少し波打っていた。新郎の指導教員が持ってきた原稿で、冒頭は穏当だったが、二段落目に「学生時代、長くお付き合いした方との別れを経て、今の落ち着きを得ました」と入っていた。私はそこに最初の赤線を引いた。結婚式の原稿に、元恋人の気配は要らない。
消したのは「長く」「別れを経て」「今の落ち着き」だ。長さを入れると比較が始まる。「別れ」は事情探しを招く。「今の落ち着き」は、では以前は何だったのかと聞き手に余計な宿題を残す。主賓は善意で書いている。人柄に厚みを出したかったのだろう。けれど披露宴でマイクに乗った言葉は、その場で親族、上司、友人に同時に配られる。ひとりにだけ通じる事情は、会場に出した瞬間に別の意味になる。
以前、新婦側の親族席で、祝辞の「いろいろあった末に」という一言のあと、叔母らしい二人が顔を寄せて小さく相談し始めたことがある。司会はそのまま進め、新郎新婦も笑っていたが、空気はそこで一度ずれた。料理が置かれる音のあいだに、だれのことかを推測する時間が生まれる。祝う場で厄介なのは悪意ではない。半端に具体的な善意だ。聞かなくていいことを、聞けそうな形で置いてしまう。
本日までの歩みの中で培われた誠実さが、研究室でも周囲からの信頼につながってきました。
こう直すと、原稿は安全になる代わりに少し平板になる。そこはごまかせない。名前を落とせば、文はたいてい痩せる。それでも私は落とす。披露宴で守るのは真実の総量ではなく、公開の範囲だからだ。本人たちが知っていることと、その場にいる百人が受け取ってよいことは一致しない。赤字を入れるたび、書き手の「いい話を入れたい」という熱を削っている感触が手に残る。
編集後の原稿を返すと、主賓はたまに「ここ、薄くなりませんか」と聞く。薄くなる。だが、披露宴で薄くしておくべき文はある。あとで写真が残り、録音が回り、親族の記憶だけが長く残る場ではなおさらだ。私はそのたびに、削った語句を余白に小さく控え、提出版には移さない。消した事実まできれいに処理したことにしたくないからだ。