ソノダマリ(マンションポエム国際比較調査員)
空白地帯レポート マンションポエムが書かれない110カ国
平壌の新街区を伝える映像には、塔状住宅の白い外壁、整列した街路樹、夜の点灯試験は映るのに、部屋の名前がない。誰の朝が始まるとも、窓辺で何を育てるとも言わない。住宅は誇示されるが、選ばれる商品としては語られない。ハバナの売買情報も似ていて、並ぶのは「2 habitaciones」「貯水タンクあり」「3階」「海沿いまで徒歩数分」といった要目だ。傷んだ階段や分割された居間まで書くのに、人生の景色だけは売り文句にならない。ここでは住まいを動かすのが、夢の演出より手続きと補修の段取りだからだ。
ウランバートル郊外の新築広告では、床暖房、学校への送迎バス、微粒子対策の換気設備が前に出る。それでも日本の物件サイトのように、眺望が人格を変えるとは飛ばない。冬の大気と渋滞を知る街では、地平線より配管と断熱が先に比較される。遊牧の記憶という大きな説明だけでは足りない。都市の集合住宅でさえ、詩より設備表が強い。ツバルに行くと話はさらに切実で、海沿いの土地は潮位と塩害から始まり、輸入材の遅れが工期を止める。住所は憧れの舞台ではなく、誰の親族の家と井戸に近いかを示す座標になる。
カブールで目につくのは、高い塀と金属門を備えた住宅広告だ。外観写真より先に、発電機、貯水、警備が記される物件がある。中庭が美しくても、説明文の重心はそこで過ごす午後に置かれない。イエメンの都市部でも、集合住宅の魅力はラウンジ名ではなく、給水の安定や親族が集まれる広さに結びつく。ブータンでは逆に、伝統家屋の意匠が強すぎて、建物へ新しい人格を盛る余地が少ない。梁の彩色、窓枠の文様、仏間の位置がすでに家の顔を決めている。名称で運命を足す必要がないのである。
110カ国を追って分かったのは、マンションポエムの不在が一枚岩ではないということだ。広告市場が薄い国はある。だがそれだけでは説明できない。面積や駅距離の先にいる「住む私」を先取りして売るには、暮らしを個人の選択として包装できる売買の形式が要る。そこが崩れると、文面はすぐ水圧、門扉、断熱材、貯水槽の話へ戻る。ポエムがない国では、住まいがまだ現実に近すぎる。 その距離の短さが、広告の調子を国ごとに変えていた。