アガツマレイコ(62歳・ボタン店主40年)
ボタンの店をやっている。母から継いで、私の代で四十年になる。店の壁は、床から天井まで小さな引き出しで埋まっていて、その一つ一つに、径と色と素材で分けたボタンが眠っている。宝石箱のような引き出しの群れだと、よくお客さんに言われる。私にとっては、ただの在庫だ。
うちに来るお客さんの大半は、一粒だけを探しに来る。ジャケットの三つ目のボタンを失くした。子どもの制服の、いちばん上が取れてどこかへ行った。失くした一粒の代わりを、何万種類の中から探す——それが、ボタン屋という商売のいちばん大きな仕事だと思う。
一九八六年、母が体を悪くして、私が店に立つようになった。二十二歳だった。継ぐつもりは、正直なかったように思う。それでも母の隣で十年見ていたから、引き出しの場所はだいたい頭に入っていた。秋のはじめの、まだ少し蒸す日のことだったと思う。
一人で初めて受けた相談が、近所のお母さんだった。小学校に上がる子の制服を縫い直していて、「この子の制服の、これなんですけど」と、ちぎれた一粒を私の手のひらに置いた。白い、四つ穴のボタンだった。私はそれを、母がいつもそうしていたように、ゲージに当てた。径を測る、真鍮の薄い板に穴の空いたゲージだ。
径、穴の数、厚み、艶、足の有無。母に教わったのは、その五つを順に見ること。径は十一ミリ半。穴は四つ。厚みは薄め。艶は、貝ボタンの、あの奥行きのある艶だった。練りボタンの表面の艶とは、光の沈み方が違う。母は「貝は光を吸う、練りは光を弾く」と言っていた。本当にそうだった。私は引き出しを開けて、近い番手を三つ、台の上に並べた。
けれど、完全に同じものは、なかった。径も穴も艶も合うのに、ほんの少しだけ、色みが温かいか、冷たいか。並べると、明らかに一粒だけ浮く。新しい一粒だけが、よそ者の顔をしている。こういうとき、母がどうしていたかを、私は思い出していた。
「全部、替えると、揃いますよ」。気づいたら、そう言っていた。一粒のために来た人に、五粒を買わせる言葉だ。口にした瞬間、少しだけ後ろめたかったのを覚えている。でも、それが綺麗なのも、本当だった。一粒だけ新しいより、五粒とも同じ歳をとっていくほうが、服は長く綺麗でいられる。後ろめたさと、職業上の真実とが、同じ口から出ていた。
お母さんは少し考えて、全部替えていった。それから私は、廃番になったボタンの引き出しを開けた。もう作られていない型を、台紙に貼って取ってある引き出しだ。私はそこを、廃番の墓場と呼んでいる。服はとっくに捨てられても、ボタンだけが台紙の上で生き残っている。ボタンは、服より長生きするのだ。学生服の金ボタンの、校章の彫りだけが、卒業した学校といっしょに、いつまでも引き出しに残る。
あの日から四十年、私はずっと、一粒の観察者だった。お客さんは事情を語らない。ただ一粒を置いていくだけだ。それでも径と穴と艶を見ていれば、その一粒がどんな服の、どのお客さんの、どんな時間の上にあったのかが、なんとなく見えてくる気がする。あの秋の一粒が、私をいまの私にしてくれた。引き出しは今日も、床から天井まで、静かに並んでいる。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。