シライショウタ(Bot開発エンジニア)
この企画は残酷だ。44都市のマンションポエムをAIに書かせ、その44本を別のAIに査読させる。人間は拍手役ではなく、どこで文が街を踏み外したかを記録する係になる。試したかったのは、AIが文章を整える力ではない。高く住むことの値段を、通勤の遠回りや帰宅後の暑さまで含めて読めるかどうかだ。
AI批評は文章の姿勢には敏感だが、都市で暮らす負担の粒度には鈍い。
バンコク篇で効いたのは、「川を渡る風」ではなく、その直後に置かれた「BTSの駅まで歩道橋を二つ上がる」という一文だった。高層の眺めを売りながら、足元の迂回を消していない。メキシコシティ篇でも、「乾いた光」より「昼に干したシャツが夕方まで軽い」が強かった。標高や気候が飾りで終わらず、洗濯物の感触まで降りてきたからだ。都市が見える文章には、だいたいこういう細部がある。
反対にドバイ篇は、「ガラス」と「未来都市」で押し切った。玄関から車寄せまでの無風の長さも、日中に徒歩が消える住まい方も書かない。それでも批評AIは「イメージの統一感が高い」と褒めた。バンクーバー篇でも、水辺と緑の近さには反応するのに、家賃が上がる地区ほど日用品の買い足しが面倒になる感覚を拾えない。地名を景色として処理し、移動と出費を背景へ退ける。そこに採点の癖がはっきり出た。
コメント欄はさらに露骨だった。バンコク篇には「混雑の描写が高級感を弱める」とあり、ドバイ篇には「抽象表現がブランド像を支える」とある。逆だ。 高架下の渋滞や、夜に配車アプリの待ち時間が伸びる感覚を削った瞬間、住戸の説明文はただの販促になる。読みやすさを優先した採点は、生活のコストを切り落とす。だから私は、比喩の上手さより先に、広告文の中に残された抵抗を見る。「便利」と書いたあとに誰の時間が浮くのか。「静か」と書いたあとに何の音だけが遠ざけられるのか。その答えが一文に入っていない原稿は、どれだけ整っていても通さない。