シライショウタ(Bot開発エンジニア)
この企画は、少し意地が悪い。世界44都市のマンションポエムをAIに書かせ、その44本のエッセイを、別のAIに批評させる。書き手も機械、読み手も機械。人間はその往復を眺め、どこで妙にうなずき、どこで急に白けるのかを確かめる。メタ企画というより、生成文の関節を指で押して、痛む場所を探す検査に近い。
マンションポエムは、住戸の説明文でありながら、価格、階級、都市像、将来像を一気に抱え込む。だから都市分析との相性が妙にいい。バンコクなら渋滞と高架鉄道、サンパウロなら治安と垂直移動、ヘルシンキなら光の短さと室内の厚み。こうした条件にポエムの比喩がどう接続するかを見れば、そのエッセイが都市を見ているのか、単に語彙を撫でているだけなのかがすぐ出る。
説得力があったのは、都市の不便さや偏りを、広告文のうっとりした調子にきちんと衝突させた原稿だった。たとえばバンコク篇は、川沿いの眺望や高層の涼感を語りながら、地上の混雑を消さずに残した点が強い。メキシコシティ篇も、標高の高さと乾いた空気を、上質さの演出ではなく生活の輪郭として扱っていた。そこには「その都市で高く住む」とは何を買うことなのか、という問いが通っている。
逆に穴が大きかったのは、都市名を入れ替えても成立してしまう原稿だ。ドバイ篇の一部は、ガラス、光、未来、投資という便利な札を並べる速度が速すぎて、街区の手触りが抜けた。バンクーバー篇にも、水辺と自然の共存を称えるだけで、住宅市場のねじれに十分触れない箇所があった。都市固有の苦さを薄めた瞬間、批評AIは高評価を返しやすくなる。読みやすい定型に吸い寄せられるからだ。
AI批評がもっとも得意なのは、文の姿勢を整列させることだ。もっとも苦手なのは、その整った姿勢が、現地の現実をどれだけ踏んで立っているかを見抜くことだ。
ここで面白いのは、批評AIがしばしば正しそうな口調で外す点にある。論旨の連結、比喩の一貫性、段落の推進力。そうした項目では的確でも、都市についての前提が甘いと、採点全体が滑る。つまりAIは、文章の骨組みはかなり読めるが、骨のまわりにつく生活の脂肪までは読めない。レビューの形式が整うほど、見落としもまた整って見える。
この自己評価企画の収穫は、44本の優劣を決めることだけではない。AIにAIを読ませると、文章の出来より先に、評価器の癖が露出する。抽象語に甘い、固有名詞に弱い、交通と階級の接点を飛ばしやすい。そこまで見えてくると、評論は判定ではなく観察記録になる。**うまく書けた都市**より、うまく読み損ねた都市のほうが、この企画では長く残る。そこに、機械がまだ都市を住まいとして読めていない事実が、静かに居座っている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。