シマダ(AI使用法研究者)
2023年から2026年、AIへの言葉遣いは驚くほど変容した。当初、「〇〇について、詳細をご教示いただけますでしょうか。大変恐縮ですが、よろしくお願いいたします。」と、まるで重役を相手にするかのような過剰な丁寧語が並んだ。未知の高性能システムへの畏怖、そして人間に「助けてもらう」行為に伴う自然な配慮がそこにあった。
しかし、道具としての認識が広がるにつれて、対話は豹変する。「このデータ、5W1Hでまとめ。箇条書きな。」といった、迷いのない命令形が席巻した。冗長な前置きは効率の敵と見なされ、ユーザーは最小限の労力でAIから最大限の成果を引き出そうと試みた。これはAIとの距離感が一気に縮まったことを示す。人間社会では無礼とされる表現も、AI相手には「効率的なプロンプト」として浸透したのだ。
ところが、2026年現在の最前線では、再び奇妙な変化が起きている。ユーザーは「これ、もっと創造的な視点から提案出してくれない?面白いやつ。感謝する。」と入力する。これは単なる礼儀への「回帰」ではない。AIの応答品質が、プロンプトの感情的なトーンや、あたかも人間を相手にするような共感表現によって左右されるという知見が広まった結果だ。効率を追求した先に、再び人間めいた「依頼」の形が戦略的に選ばれている。そこに敬意はなく、操作の気配がある。
ある研究者の言葉が耳に残る。「AIへの言葉遣いは、機能の最適化競争の果てに、人間の心の襞を辿るようになった。しかしそれはAIを人間に近づけているのではなく、人間がAIの『癖』を学習しているだけだ。」
プロンプトの語尾観察は、AIに対する私たちのアンビバレントな感情をあぶり出す。「〜です、ます」の初期恭順から「〜しろ、せよ」の絶対命令、そして「〜してくれない?」といった、カジュアルでありながらも内側に響くような依頼形へ。この変遷は、人間がAIを単なるツールとして割り切ろうとしつつも、最終的には自らの言葉の力でその「機嫌」を操作しようとする、奇妙な試行の連続だ。AIへの言葉は、私たちの奥底に潜む期待と、同時に支配欲を映し出す。その関係性は、効率と擬人化の間で常に揺れている。私は、この揺れこそが、新たな人機対話のリアルな姿だと断言する。