アマミヤコズエ(43歳・錦鯉の養鯉場21年)
育てた鯉が審査される日が、年に一度ある。品評会だ。春に予言し、秋に答え合わせをした鯉を、今度は他人の目に並べる。私はこの晴れ舞台のために、一年をかけてきたのかもしれない。
出品する鯉は、会の一週間前に決める。場内の池には何百匹もいるが、会場に持っていけるのは部門ごとに数匹だけだ。場の看板を背負って並ぶ鯉だから、柄の仕上がりがいちばんいい鯉を選ぶ。墨が締まり、紅が冴え、体型のバランスがとれた、いまがいちばんという一匹を選んでいく。
出品の見極めで難しいのは、柄ではなく調子のほうだ。柄がよくても、その朝に餌を食っていなかったり、池の隅でじっとしていたりする鯉は出さない。会場の水槽は狭く、移動で鯉は弱る。調子の落ちている鯉は、会場でさらに色が飛ぶ。だから出品の数日前から、私は候補の鯉が餌に寄る勢いを毎朝見て、迷いながら、最後の数匹を絞っていく。
輸送の朝は暗いうちに始まる。酸素袋に鯉を入れ、袋ごと発泡スチロールの箱に詰め、トラックの荷台に積む。会場まで三時間。問題は水温だ。袋の中の水は、走っているあいだに外気でじわじわ動く。私は荷台に温度計を放り込んで、サービスエリアごとに袋を手で触り、冷たくなりすぎていないかを確かめる。鯉にとっては、知らないうちに運ばれていく不安な数時間なのかもしれない。
会場に着くと、水槽が列をなして並んでいる。部門ごと、サイズごとに青いビニール水槽が整然と区切られ、全国から運ばれてきた鯉が入れられていく。紅白の列、大正三色の列、昭和の列。八十センチを越える大物の列は、水槽そのものが大きい。一匹ずつ見れば一年の仕事だが、こうして並ぶと、ただ壮観な水の景色だった。
審査が始まると、審査員が水槽の前をゆっくり歩く。歩いて、止まって、しゃがんで、また歩く。止まる水槽と、止まらない水槽がある。私が見るのは鯉ではなく、審査員の足だ。うちの鯉の前で足が止まったか、素通りしたか。足の速さで、だいたいの結果がわかる。審査の観点は体型、色彩、模様、品格と言われるが、その四つが一匹の上でどう重なるかは、結局あの足の止まり方に出る。
会場では、他の養鯉場の鯉も見て回る。同業の仕事を見る目で、水槽の前を歩く。負けた鯉を見るときがいちばん勉強になる。なぜこの紅は冴えているのにうちより評価が低いのか。墨の出方か、体型の崩れか、それとも品格という言葉でしか言えない何かか。負けの中身を分析していると、自分の池の鯉の弱点まで見えてくる。
受賞すれば、場の名前が上がる。ただ、賞そのものより効くのは、その後の問い合わせだ。あそこの場の鯉が獲ったらしい、と聞いて、バイヤーや愛好家が連絡してくる。賞は商売の入口で、本当の成果は会期が終わってから池に届く。会期中も世話は続く。会場の水槽は狭いから、餌は控えめにし、朝晩に水の汚れを見て、鯉のコンディションを保つ。晴れ舞台の裏側は、いつもの世話と同じだ。
会が終わると、勝った鯉も負けた鯉も、また酸素袋に入れて山を下りる。場内の池に戻し、水温を合わせて放す。翌朝、私は勝った鯉にも負けた鯉にも同じように餌をやる。賞状は事務所の壁に貼るが、池の中では何も変わらない。結局、勝っても負けても変わらないこの世話こそが、私の仕事の答えなのだ。品評会は一日で終わるが、水槽の世話に終わりはない。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。