池揚げの、秋
半年ぶりの答え合わせ、野池の水を落とす日

アマミヤコズエ(43歳・錦鯉の養鯉場21年)

春に山の野池へ放した鯉を、秋に揚げる。半年、人の目を離れて育った鯉が、どんな体になり、どんな柄になったか。池揚げは、春の選別という予言の答え合わせの日だ。私は二十一年、この答えを見るために秋を待ってきたのかもしれない。

水を落とすのは、揚げる日の数日前から始まる。山の池には底に栓があって、それを抜くと一日では引かない。少しずつ水位が下がり、鯉が中央の深みへ寄っていくのを、私たちは何日かかけて見ている。慌てて落とすと鯉が暴れて鱗を傷める。自然のリズムに合わせて、ゆっくりと水を引いていくのだ。

揚げの当日は総出になる。場内の者が全員、長靴で池に入り、両側から網を引く。残った浅い水と泥の中に、半年ぶりの鯉がいる。最初に網が重くなる。手応えで、ああ大きくなった、とわかる。泥にまみれて、春に放したときの面影がほとんどないほど、別の生き物のように太っていた。

野池は不思議な力を持っている。同じ稚魚でも、場内の池で育てた兄弟より、野池の鯉は骨格が太く、肌に深みが出る。広い水、天然の餌、雨と日と風。自然の中で半年を過ごすということが、鯉にこれほどの体を与えるのだと、毎年見ていても驚かされる。野池の力は、人の手の及ばないところにある。

泥を流して選別台に並べると、春の予言の答えが出る。肩に灰色のにじみがあった一匹は、墨が湧いて背が黒くなっていた。当たりだ。一方、春に冴えていた紅で残した一匹は、紅が飛んで薄くなっていた。外れだ。墨が出た鯉、紅が飛んだ鯉。台の上には、当たった予言と外れた予言が、泥のにおいと一緒に並んでいた。

池揚げの選別は、春とは別の判定だ。春は稚魚を絞る一度目、秋は育った鯉を残すか売るかに分ける二度目。ここで見るのは大きさではない。大きいだけの鯉は売りに回し、これからまだ墨が締まり紅が冴える将来性のある鯉を、場内に残す。大きさに目を奪われてはいけない、と自分に言い聞かせながら、私は二度目の網を持つ。

鯉を揚げたあとの池も、世話をしてやらなければならない。底にたまった泥をならし、来年の春までゆっくり休ませる。池にも疲れがある。毎年同じように使えば力が落ちる。一年使った池を寝かせ、別の池を起こす。土と水を休ませることで、また来年、あの太い鯉を育てる力が戻ってくるのだと思う。

残した鯉は、酸素袋に入れて場内の池へ運ぶ。山の池と場内の池では水温が違う。袋ごと運び先の水に浮かべて、しばらく温度を合わせてから放す。急に違う水へ移すと鯉が弱る。袋の中の水と、池の水。二つの温度がそろうのを、私は袋を手で支えながら待つ。慎重に、慎重に。

こうして秋が終わると、鯉たちは冬のハウスへ移っていく。来年の春まで、水温を管理された静かな水の中で過ごす。池揚げとは、一年の答え合わせなのだ。春に予言し、秋に答えを見て、また冬を越えて次の春へ渡していく。外した予言も、当たった予言も抱えて、私は今年もこの秋を越えた。山の池は、水を落とされて静かに眠っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。