残した分だけ、わかること(第二稿)
飼育員一年目、残餌を量ると決めるまで

アオヤギレン(34歳・動物園飼育員12年)

朝、餌を配る。青草と固形飼料。夕方、桶を回収して、減らなかった分を秤に載せる。この減らなかった分を、残餌と呼ぶ。仕事の大半は、配ることではなく、これを量って数字を書くことだ。十二年、そうやってきた。

動物には、調子が悪いと言う言葉がない。それどころか隠す。野生で弱った姿を見せれば狙われるから、痛いと顔に出す個体はとうに食べられて、子孫を残していない。だから彼らは最後まで平気な顔をして、平気な顔のまま、ある朝動かなくなる。その顔の下で、ひとつだけ嘘をつき損ねるものがある。食欲だ。

二〇一四年、一年目の春。獣舎は朝でも床が湿っていて、固形飼料の袋は二十キロあって肩に食い込んだ。担当のシカ科の朝の桶を片づけようとしたら、いつもなら空に近い桶に、青草が残っていた。私はそのまま捨てようとした。

先輩が、待て、と言った。残った草を桶ごと秤に載せ、目盛りを読み、日誌の升目に書いた。前日八十グラム、その朝二百二十グラム。差は百四十。先輩はその二百二十をしばらく見て、それから検便用の容器を私に渡した。残餌が前日の倍を超えたら便を取る、と決めているのだと言った。倍。そういう基準が、頭にではなく、ノートに書いてあった。

「言葉が通じない相手は、残した物で話す」。先輩はノートの数字を指でたどってそう言い、もう一つ言った。可愛がるな、目が曇る、と。曇った目には二百二十グラムが見えない。見えるのは桶の前に立つ一頭で、数字ではなくなる。それでは餌の番人にはなれても、観察者にはなれない。可愛いという言葉を、私はその朝、仕事の語彙から外した。

その個体は二日後に処置を受けた。胃腸の不調だった。獣医は、あと三日、残餌が増え続けていたら開けることになっていた、と言った。三日。命に、三日という目盛りがついた。私は帰りに前日の日誌を開いて、八十、八十、七十五、と並ぶ数字を上から下へ何度も読んだ。次に同じ並びを見たら、誰に言われなくても容器を取ろう、と決めた。

閉園後の獣舎を見回ると、昼に客の前で寝そべっていた個体が立って歩いている。私が見るのは、その歩き方だ。後ろ脚の運びが昨日とずれていないか、寝る位置が餌場から遠ざかっていないか、水の減りはどうか。昼の顔は客のための顔で、数字は出さない。本当のことは、客のいない時間に出る。

十二年で直した――いや、配った餌の量は数え切れない。覚えていない。覚えているのは、残った分の数字のほうだ。八十が二百二十になった朝。今朝の桶は、四十グラム残っていた。前日が三十五。差は五。便は取らない。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。