電話を、先に切らない
挨拶のあと、相手が切るまでの数秒を、私は聴いている

アリムラサキ(27歳・コールセンターオペレーター5年)

窓の外はもう暗くなりかけていて、フロアには夕方の少しけだるい空気が静かに流れていた。そんな時間に、私はまた「お電話ありがとうございました」と言う。一日に二百回ほど言うこの台詞のあと、私はすぐには切らない。規則で決まっている。お客様が先に切られたのを確認してから、こちらの回線を切る。だから挨拶のあと、相手が切るまでの数秒間、私はずっと無言の回線を聴いている。

切断確認のランプが、画面の右上にある。相手が切れば、緑から灰色に落ちる。落ちるまで、私の耳には何も言葉のない回線だけが続く。すぐ切る人がいる。「ありがとう」のお尻にかぶせるように、ぷつりと切る。なかなか切らない人もいる。こちらの挨拶が終わっても、しばらく受話器を耳に当てたまま、何かを言いかけて、やめる気配だけが伝わってくる。その気配が、なんだか妙にいとおしいような気がして、私はランプが落ちるのを待っている。

そして、戻ってくる人がいる。「あ、そうだ」。切る寸前で思い出して、もう一度こちらに声を向ける。「あ、そうだ、領収書って一緒に入ってます?」。この「あ、そうだ」のために、先に切らないという規則はあるのだと思う。もし私が挨拶の直後に切っていたら、その人の「あ、そうだ」は、切れた回線の向こうで宙に浮いて、誰にも届かないまま消えていたはずだ。

受話器を置く音が聞こえる時代では、もうなくなった。昔の電話なら、ガチャ、と置く音で通話の終わりが分かったのだろう。いまはスマートフォンだから、画面の赤いボタンを押すだけで、音もなく切れる。それでも、切断音が鳴る直前の一瞬に、向こうの生活音がふっと混じることがある。テレビ、誰かの足音、台所の水の音。置き方は聞こえなくなったけれど、暮らしの音だけは、いまもそこにある。

終話のあと、後処理の画面——ACWと呼ばれる——が立ち上がる。応対内容を分類して、コードを選んで、メモを残す。この後処理の時間も、私のAHTに足されていく。けれど「先に切らない数秒」は、後処理が始まる前の、どの欄にも入らない時間だ。ランプが落ちるのを待つあいだ、私はただ無音を聴いているだけで、その数秒は、評価表のどこにも記録されない。記録されないけれど、たしかにそこにある時間だと思う。

ヘッドセットは片耳だけだ。もう片方の耳には、フロアの音が入ってくる。隣の席の同僚も、ほとんど同じ瞬間に「お電話ありがとうございました」と言っている。その隣も、その向こうも。一日のうち何度も、フロア中の「ありがとうございました」が、少しずつずれながら重なる。みんな、挨拶のあと、それぞれの無音の数秒を聴いている。同じ規則のなかで、同じように先に切らずに待っている人たちが、私の片耳のなかにいる。

あるとき、ふと計算してみたことがある。一回の「先に切らない数秒」を、仮に三秒とする。一日に二百回なら、六百秒。十分だ。私は毎日、十分ぶん、無言の回線を聴いている計算になる。一年なら、何時間にもなるのだろう。声を交わしていない、ただ相手が切るのを待っているだけの十分が、私の一日のなかに、毎日たしかに積もっていた。

先に切らないこの数秒にこそ、接客の本質があるのだと、いまは思う。声だけで人と会うこの仕事で、いちばん相手を待っているのは、言葉を交わしているときではなく、言葉を言い終えたあとの、この無音のなかなのかもしれない。今日も私は「お電話ありがとうございました」と言って、ランプが灰色に落ちるのを、静かに待っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。