アサギリトモ(39歳・空調設備のメンテナンス17年)
夏になると、私たちは屋上に上がる。室外機は建物の天辺に並んでいるからだ。外気が四十度に近づく日、コンクリートの照り返しを受けた室外機まわりは、温度計を当てると五十度を越える。靴底のゴムが柔らかくなって、足を置くたびに少しめり込む。手袋越しでも、配管には素手で触れない。屋上は、地面より一階分、夏に近い。
段取りはひとつだけ覚えている。水は飲むな、口をゆすいで吐け。一気に飲むと汗で出ていって、かえって動けなくなる。三十分上がったら一度降り、日陰で口をゆすぐ。そして必ず二人で上がる。屋上で倒れたら、地上の誰も気づかない。汗が引いてきたら、すぐ降りる。先輩はそう言って、私の腕の鳥肌を指でなぞってみせた。それが出たら、もう体が冷やせていない合図だと。
夏の昼下がり、フル稼働の室外機の高圧側は、平常なら二・四メガパスカルあたりが、三・二を越えて赤いラインに針が触れる。そこまで来ると、コンプレッサーがいつもより半音高くうなる。そして夏の故障は連鎖する。一台が音を上げると、その負荷をかぶった隣が、次の日に止まる。針を見れば、明日どれが倒れるか、だいたいわかる。
「今日中に直してほしい」。夏場、いちばん多いのはこの電話だ。冷房の止まった飲食店から、声が切迫している。客が帰る、仕込んだ食材が傷む、損が一時間ごとに膨らむ。だから私たちはまず応急の仮復旧をして、店を開けられる状態に戻す。傷んだ部品の本修理は、部品が届く夜にやる。今日開けることが先で、根治はあとだ。二段構えにしないと、店は一日分まるごと失う。
去年の八月、昼の書き入れ時にラーメン屋の冷房が落ちた。屋上に上がると、高圧側の針が赤いラインに張り付いていた。フィンが綿ぼこりで真っ白に目詰まりして、室外機が熱を捨てられず、自分の熱でうずくまっていた。ホースでフィンに水をかけ、ブラシで綿を掻き出す。手の中で、針が三・二から二・五へ、すっと下りていった。店を開けてもらい、過負荷で焼け気味だったファンモーターは、その夜、替えに来た。
夜間工事は、夏の空調屋の裏の顔だ。営業中は止められない店が多いから、閉店を待って深夜に搬入する。新しいコンプレッサーを台車に積み、人気のないエレベーターで屋上へ上げる。昼にあれほど熱かったコンクリートが、夜もまだ生ぬるい熱を吐いている。ヘッドランプの灯りだけで配管をつなぎ、冷媒を入れ、漏れがないかを石鹸水の泡で確かめる。泡が膨らまなければ、開店に間に合う。
猛暑の年は、電話が鳴り止まない。上がっては降り、また別の屋上へ上がる。そういう夏に、点検契約の差がはっきり出る。先月フィンを洗い、冷媒の圧を整えておいたビルは、この夏まだ一度も止めていない。同じ通りで、夏前に「今年は見送る」と言った雑居ビルは、いちばん暑い日に二台同時に倒れた。針は、手を入れた建物と入れなかった建物で、同じ昼でも違う高さを指す。
夜通しの工事を終えるころ、東の空が白む。その一瞬だけ、屋上を涼しい風が通り抜ける。昼にはあれほど人を痛めつけた場所が、その時間だけ優しい。私は工具を置いて、缶コーヒーのプルタブを起こす。最初の一口を飲み下すあいだ、腕の鳥肌が、今度はちゃんと引いていく。風がやんだら、降りる。エレベーターのボタンを押す。今日も、屋上は暑くなる。