ソノダマリ(マンションポエム国際比較調査員)
高級住宅の広告は、住戸の説明書ではない。市場が薄い都市では、広告そのものが先に完成した街区になる。私はこの癖を、ヤンゴンとプノンペンで何度も見た。図面より先に噴水があり、入居率より先に門があり、舗装より先に「arrival」がある。売っているのは部屋ではない。外から来る人が安心して読める都市の表紙である。
ヤンゴンの新築案件では、その表紙の作り方が露骨だ。雨上がりのインヤー湖周辺で車が水たまりを大きく割る通りの脇に、幅三メートルほどの看板が立つ。金のセリフ体で “Lake View Residences” 、その下に白い細字で “24-hour backup generator” 。停電が珍しくない街で、発電機は設備の一つではない。広告の中心装置だ。しかも完成予想図では、送電線も露店も消され、車寄せだけが乾いた石の色で描かれる。寺院の尖塔は遠景に小さく置かれ、祈りの場ではなく、静かな眺望の証拠として使われる。
プノンペンでは事情が少し違う。中国語併記の開発看板は、現地の暮らしを薄めるより、決済の速度を前に出す。英語の見出しは “Premium Condo” で平凡だが、価格は大きくドル建て、頭金の比率は赤字、分割年数は表で即読できる。クメール語は引き渡し時期や管理費に回り、街の説明ではなく契約の段取りを担う。ここで広告が配っているのは夢ではない。資金が入る順番だ。造成地の赤土が足元に残ったまま、ガラス張りのロビーだけが先に都心の顔を名乗る。
この二都市を並べると、英語はいつも浮いているわけではないと分かる。ヤンゴンでは英語が停電や道路の荒れを覆う布になり、プノンペンでは英語が送金と所有権を滑らせる潤滑油になる。役割が違う。だから「現地語は現実、英語は気分」という整理では足りない。広告の言語は上下に分かれていない。前面と脚注、入口と精算窓口に分業されている。
高級住宅広告が隠すのは貧しさではない。 隠すのは、都市がまだ合意していない順序だ。まず住む人が増え、店が育ち、道が直り、あとから景観が整うはずの場所で、広告だけが順番を入れ替える。噴水、発電機、寺の遠景、ドル建て価格表。その並べ方に、誰を先に通し、誰を後ろに回すのかがはっきり出る。高級住宅広告は未来予想図ではない。入場資格を配る紙だ。