部品の、絶版
もう作られない一片を、それでも探す仕事

アシヤノゾミ(33歳・時計修理技能士11年)

時計の修理は、機械と向き合う仕事だと思われがちだ。けれど、本当に向き合っているのは、部品との戦いなのだと思う。壊れた一本を直すために、まず探すのは原因ではなく、それを直すための小さな一片だ。そして古い時計ほど、その一片は、もうこの世のどこにも作られていない。

メーカーには、部品供給期間というものがある。製造を終えてから、おおむね七年や十年で、補修部品の在庫が打ち切られる。ある日、注文の画面に「供給終了」と表示される。巻真も、リューズも、風防のガラスも、文字盤を留める小さな足も、注文できなくなる。絶版の通知は、そっけない一行で届く。

では直せないのかというと、まだやれることがある。順番がある。私はまず、汎用部品の型番表を引く。時計の世界には、メーカーをまたいで互換する部品が驚くほど多い。巻真も、何百という規格に整理されていて、長さと径と先端の形が合えば、別のメーカーの一本でも使える。表をたどって、近い型番を二つ三つ拾い出す。

合うものが表になければ、次は部品取りだ。机の下に、ジャンク箱がいくつもある。動かなくなった同型の時計を、私は捨てずに取っておく。文字盤が割れていても、中の歯車は生きている。風防が砕けていても、巻真は無傷のことがある。一本の死んだ時計から、別の一本を生かす部品を移す。同型を探して、移植する。死んだ時計は、部品の貯蔵庫になる。

それでも見つからないときは、電話をかける。部品商の在庫を頼るのだ。この業界には、横のつながりがある。長く店を続けている修理屋や問屋は、廃番になった部品を引き出しの奥に眠らせていることがある。「あそこにまだあるかもしれない」。受話器の向こうで、何十年ぶりかにその型番が読み上げられ、抽斗が引かれる音がする。一本の絶版部品を、人の記憶の網がたぐり寄せる。

最後の手段は、削ることだ。汎用の巻真の素材を旋盤にくわえ、合う寸法まで削り出す。先端の角の形、溝の位置、ねじの切り方。図面はない。元の折れた一片を顕微鏡で測り、手の感覚で再現する。これはもう、修理というより加工の領域で、職人の技がいちばん試される瞬間だと思う。回る素材に刃物を当てるとき、私はいつも息を止めている。

こうして手を尽くして、それでも届かなかったとき、初めて「直せません」と言う。けれど、その言葉を口にする前に、やれることの順番を最後まで下りてみる。供給終了の一行で諦めてしまえば、直せたはずの時計が、いくつも捨てられていく。直せない、と言うのは、いちばん最後でいい。

ふと思う。スマートウォッチには、この未来がない。電子部品の絶版は、機械部品よりずっと早い。基板のチップが一つ廃番になれば、もう部品取りも削り出しもきかない。五十年前の機械式時計が今日も動くのは、規格と互換の文化が、時計という道具を生かし続けてきたからだ。ねじ一本に互換があるということが、ひとつの時計を、時代を超えて生かしている。直せるということは、それ自体がひとつの文化なのだと思う。

先週、絶版の巻真を旋盤で削り出して直した一本を、持ち主に返した。納品の日、最後にリューズをつまんで巻いてみる。コチ、コチ、と新しい巻真が香箱に力を伝えていく、その手応え。この一本は、メーカーがもう部品を作らないと決めた時計だ。それでも、竜頭の巻き心地は、五十年前のあの日と同じように、確かに返ってきた。時を超えて受け継がれてきた小さな絆が、私の指先に伝わってくるようだった。直せて、よかったと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。