ワタナベ(65歳・元会社員)
テレビCMをぼんやりと眺めていると、ふと、昔の自動車CMのナレーションが耳に残っていることに気づかされます。特に、力強く語りかけるような、あの独特の語彙。あれは一体どこへ消えてしまったのでしょう。
「走りの歓び」という言葉は、かつての自動車CMでは頻繁に聞かれました。路面を捉えるタイヤの感覚、エンジンが唸りを上げる瞬間、カーブを曲がる時の体の傾き。そういった五感を刺激するような体験が、この一言に凝縮されていたのです。しかし、今のCMではどうでしょう。「安心」「安全」「快適」といった言葉が主流で、ドライバーが車と一体になるような情熱的な表現は、影を潜めてしまったように感じます。これも時代の流れなのでしょうか。
そして、「男の」という冠詞。これはもう、ほぼ絶滅危惧種と言ってもいいかもしれませんね。「男の書斎」だとか「男のロマン」という言葉が、特定の車種やブランドイメージを象徴していました。そこには、車が単なる移動手段ではなく、自己表現であり、ある種のステータスであった時代が映し出されています。しかし、現代社会では多様性が尊重され、ジェンダーに縛られない価値観が広がる中で、そうした一方的な「男らしさ」を前面に出す表現は、受け入れられなくなったのでしょう。個人的には、少し寂しい気もしますが、これもまた時代の要請だと理解はできます。
高級感の表現も、昔とは随分変わりました。かつては、革張りのシート、木目調のパネル、静粛性の高さといった、物質的な豊かさや重厚感が強調されました。それらが「高級」の象徴だった。今はどうでしょう。デジタルコックピット、コネクテッド機能、AIによる運転支援など、目に見えない「賢さ」や「つながり」が高級感を演出しています。車が提供する価値そのものが、ハードからソフトへとシフトしている証拠なのでしょう。
CMの語彙は、時代を映す鏡です。かつては、運転することそのものの楽しさや、車を所有することの社会的意味が前面に出ていました。それが今では、環境性能、安全性、利便性といった、より実用的な価値が重視されるようになっている。もちろん、技術の進歩は素晴らしいことですし、社会の要請に応えるのは当然です。
かつて、CMのナレーションは、ドライバーの心に直接語りかけ、車の持つ「魂」のようなものを表現していました。それは単なる商品の説明ではなく、夢や物語を売る言葉だったのです。
現代のCMは、より洗練され、多様な顧客層に配慮した表現へと変化しています。それはそれで素晴らしい進化ではありますが、時折、私はあの頃の、少し荒削りながらも力強い言葉の響きを思い出してしまいます。
これも時代の移ろい、価値観の変遷なのでしょう。しかし、車が人々に与える「感動」や「喜び」という本質的な価値は、形を変えながらも、きっとこれからも残り続けるでしょう。今はそれが、より個人的な体験として、静かに語られる時代なのかもしれませんね。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。