※本エッセイおよび本レビューは すべて創作 です。登場するCFP文面・会議名・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる学会・会議・著作とも関係ありません。
横山研のエッセイ制作は、下書き→辛口レビュー→書き直しの2パス構成を標準とする。フジワラレンの第一稿『学会CFPのポエム』を、academic-poem・cascade-poem との連続性、CFP英文引用のリアリティ、博士課程の自己告白の濃度、皮肉の濃度、LLM臭の有無、の観点で読んだ。
結論として、第一稿は4原理(補填・蒸発・変装・増幅)の対応づけが綺麗に揃っており、構造としては成立している。ただし「綺麗に揃いすぎ」が逆に弱点で、フジワラレンの観察エッセイというより、構造をなぞる教材になりかけている。皮肉の濃度は cascade-poem より薄い。博士課程の応答文の章は素材として強いが、もう一段、書き手が自分を不利な位置に置く踏み込みが欲しい。
強み
弱点(以下、個別に指摘する)
第一章末「これは『補填』だ」、第二章末「『蒸発』に近い」、第三章末「これは『変装』だ」、第四章末「これは『増幅』だ」。4章にわたって、各章の最後にソノダの操作概念を一つずつ貼っていく構成になっている。
本作はフジワラレンの観察エッセイであって、ポエマイゼーション理論の応用問題集ではない。章末に概念を貼るのは、エッセイの呼吸ではなく、教科書の章末問題の呼吸。読者は「ああ、4章で4操作を一個ずつ消化する設計ね」と気づいた瞬間に、観察への没入を切る。
処方:4章のうち2章だけ概念を明示する。残り2章は概念名を伏せて、読者が「これも変装だな」と気づく余地を残す。特に第三章「変装」と第四章「増幅」は、概念名の明示を削っても観察の質は落ちない。第一章「補填」と第六章「独白」だけ概念に依拠して残し、他は概念を控えめにすると、エッセイの呼吸に戻る。
引用CFP英文は5箇所。リアリティが揃っていない。
処方:「ISRM-W'26」を、もう少し無難で、いかにもありそうな架空名に差し替える。例:「The 17th International Symposium on Adaptive Systems Research (ISASR)」のような、トピックがぼかされた汎用名のほうがCFPらしい。「Symbolic Reversible Modeling」は分野名として尖りすぎ(横山研の専門に近すぎ、創作注記をしてもバレる)。
また、第五章のCoverletter文(we believe...)は、もう少し典型的に陳腐にしてよい。今のは「直接的に central theme に応答する」「novel perspective」「rapidly evolving」と、フレーズが詰め込みすぎ。実際のリジェクト回避用Coverletterはもう少し短く、もう少し空虚で、もう少し読み流される文体。短くしたほうが「自分の文体ではない」という告白の重みも増す。
第五章は本作の中段の山場のはずで、フジワラレンが「自分もポエマイゼーションの加担者である」ことを最も明確に書く章。しかし現状、自己告白の踏み込みが浅い。
具体的に言うと、「採択された」「Best Paper はもらえなかった」「面白い contribution だったと言われた」「ありがとうございますと答えた」と書いて終わっている。「採択されてよかった」とは書いていないが、暗黙には「採択は良いこと」として処理されている。ここで一段、書き手が自分を不利な位置に置く踏み込みが欲しい。
たとえば——握手された後、その夜のホテルで、自分のCoverletterを読み返して気持ち悪くなった、とか。後年、別の応募者がほぼ同じ語彙のCoverletterを書いてきて、自分が査読者として読み、その気持ち悪さに気づいた、とか。採択を「成功」として書かない書き方に振ると、cascade-poem の「研究助手のリアル」と同じ濃度になる。
処方:第五章末尾を差し替える。「採択された」事実は残してよいが、その直後に、自分のCoverletterを読み返したときの違和感を、一段落、追加する。「自分の文体ではない」と気づいた瞬間を、現在ではなく当時のこととして書き入れる。エッセイ全体の濃度が一段上がる。
第一章で「補填」を「中身が弱いほど、形容詞が増える」と説明している。これは academic-poem の「結果が弱いほど、形容詞が増える」とほぼ同じ言い回し。
第三章「変装」、第四章「増幅」も、それぞれの説明が academic-poem と内容重複している。連作なので一定の重複は許容できるが、現状は「同じ概念を別の場所に当てはめてみました」感が強い。
処方:重複説明を削る。「academic-poem で書いた『補填』が、CFPでは会議そのものの中心性に向けて働く」と一文で参照に留め、説明はしない。読者は前作を読んでいる前提でいい。連作の利点を生かして、前作の説明を反復しない。これで第一章〜第四章が短く絞れて、第五章・第六章の重みが相対的に上がる。
第二章で「奨励の主体は雲のように上空に消える」と書いた。比喩としていい。しかしその後、「雲のような奨励」「雲のような審査」「雲のような採択通知」「雲は奨励する。雲は採択もリジェクトもしない」と、雲を擦り続けている。第六章まで雲が出てくる箇所が5箇所。
一個の比喩を擦りすぎると、比喩が地金のシンボルに固化して、観察を狭める。「雲」がトレードマーク化してしまう。
処方:「雲」の使用を2箇所までに減らす。第二章で1回、第六章で1回。残りは別の言葉に振り分ける。代替候補:「主語のない場所」「無記名の奨励」「誰も書かない署名欄」など。比喩の単一性を崩したほうが、観察エッセイらしい多声性が出る。
冒頭「火曜の朝、メールボックスに23通のCFPが溜まっていた。その火曜だけで23通。月曜には19通、日曜には11通」。
23通という数字は強くて、書き手の身体を立てる。しかし、月曜19通・日曜11通まで列挙すると、数字が物理的にうるさくなる。「具体性」と「うるささ」の境界線を越えかけている。エッセイで数字を出すなら、一つの数字に賭けるほうが効く。
かつ、最終段で「新しいCFPが2通届いている」というもう一つの数字が出る。これは効くので残したい。冒頭の数字列挙を絞ることで、最後の「2通」が際立つ。
処方:「月曜には19通、日曜には11通」を削る。「火曜の朝、メールボックスに23通のCFPが溜まっていた」だけで止める。前後の文章で「ある時期は毎日洪水のように届く」という曖昧表現が補える。
最終章末尾「次のCFP受信は、たぶん夕方だろう。私はそれもまた、コーヒーをいれて読むだろう。読みながら、自分が独白の聴衆を続けていることを、ぼんやり知っている。聴衆をやめる選択肢はあまりない」。
「やめる選択肢はあまりない」「独白の中にしか、自分の論文の置き場がない」——ここが書き手の落ち着き場所として書かれている。「諦観」の着地。「私はわかったうえで続けます」というポーズ。これは道徳的着地ではないが、道徳的着地のすぐ手前の、悟った顔の着地である。フジワラレンは or-poem でも cascade-poem でも、悟った顔をしてはこなかった。
処方:「聴衆をやめる選択肢はあまりない」「独白の中にしか、自分の論文の置き場がない」を削る。最終段は「コーヒーを淹れ直す。受信箱を更新する。新しいCFPが2通届いている。両方の冒頭に、どこかで見たことのある『critical inflection point』があった」だけで終える。観察で閉じる。悟りで閉じない。閉じの前にぶら下がっている諦観の説明を切ると、観察の刃が残る。
章タイトルが「一.『重要な転換点』の二重売り」「二.主語の消去」「三.ジャンル化された期待」「四.Best Paper Award の修辞」「五.自分が書いた応答文」「六.独白としてのCFP」。
整然としていて読みやすい。しかし整然とした章タイトルが6個並ぶと、論文の節タイトルみたいになる。本作はCFPの修辞を解剖するエッセイだが、エッセイ自身がCFPっぽく整っているのは皮肉が効きすぎ、というか、構造をなぞりすぎ。
処方:章タイトルを2〜3個、もう少し非整然な、観察的なタイトルに崩す。例:「五.自分が書いた応答文」→「五.握手された夜のこと」、「六.独白としてのCFP」→「六.コーヒーを淹れ直す」。エッセイらしい呼吸に戻す。
cascade-poem の皮肉は、各ステージの登場人物に対して具体的に効いていた(広報課・記者・見出し職人・SNSユーザー)。本作の皮肉は、CFPという文面に対しては効いているが、CFPを書く側の人間(運営委員・program chair)に対しては抽象的すぎる。
第六章で「CFPは会議が自分にかける呪文」と書いたが、その呪文を書いている運営委員の手元——〆切前の運営委員会で「ピボタルな瞬間と書こう」と提案する誰か、過去のCFPの文面をコピペして部分修正する誰か——その手元の皮肉が薄い。
処方:第一章か第六章のどちらかに、「CFPの文面が前年からのコピペで作られている」という観察を一段落入れる。架空の例で、運営委員会のメールを書き手が偶然見たことがある、というエピソードを足す(ただし長くなりすぎないこと)。または、「pivotal」「emerging」「inflection point」の3語が、5年前のCFPと今年のCFPで一字一句同じ位置にある、という観察。CFPを書く側の手元を一瞬だけ見せると、皮肉に具体性が戻る。
削る:第一章末「これは『補填』だ」、第三章末「これは『変装』だ」、第四章末「これは『増幅』だ」(概念貼り付けは2箇所まで);月曜19通・日曜11通;雲の比喩3箇所;最終段の「やめる選択肢はあまりない」「論文の置き場がない」の悟り着地。
足す:第一章か第六章にCFP前年コピペの観察一段落;第五章末尾に、握手された夜のホテルでCoverletterを読み返したときの違和感の一段落。
差し替え:「ISRM-W'26」「Symbolic Reversible Modeling」を、もっと汎用な架空会議名に。Coverletter文を短く、もう少し空虚に。章タイトル五・六を観察的に崩す。
保つ:23通の数字、火曜の朝、冷めかけのコーヒー;「10年連続でピボタル」の一文;受動態と雲の比喩(1箇所);CFPの英文引用の中核4本;第六章の「独白の聴衆」モチーフ;最終段「critical inflection point」の閉じ。
タイトルは『学会CFP(Call for Papers)のポエム——『新規性』『重要性』を釣る言葉』で据え置き。
レビュアー・横山研編集部(ハヤシアヤカ+ソノダマリ+キリシマミサキの連名)