※本エッセイはすべて創作です。登場するCFP文面・会議名・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる学会・会議・著作とも関係ありません。
火曜の朝、メールボックスに23通のCFPが溜まっていた。その火曜だけで23通。月曜には19通、日曜には11通。学会のCall for Papersは、ある時期になると毎日洪水のように届く。私はそれを朝のコーヒーが冷めるあいだ、上から順に読んでいた。
23通目の冒頭はこう始まっていた。
"ICAIE 2026 seeks original contributions exploring the intersection of artificial intelligence, embodiment, and societal transformation. As we stand at a critical inflection point in the field, the conference invites researchers to address emerging challenges that will define the next decade of inquiry."
原文のあとに自分でメモを取った。「重要な転換点」。「次の10年を定義する」。「新たな課題」。冷めかけのコーヒーをすすって、もう一度読む。このCFPは、何を募集しているのか。
厳密には、何も募集していない。original contributionsを募集しているとは書いてあるが、何が original で何が contribution かは書かれていない。intersection of A and Bと書いてあるが、その intersection で何が問われるのかは書かれていない。critical inflection pointとは書いてあるが、なぜ「いま」が転換点なのかの根拠はない。
これを読んで何かが書きたくなる人がいる。私もその一人だった、と思い出した。学会発表のポエムとカスケードポエムを書いたあと、私はずっと、論文の出口を見ていた。今度は入口の入口を見る。論文が書かれる前に届く、釣り糸のような言葉のことだ。
CFPには相場というものがある。読み慣れていると、文面の温度差で分野の景気がわかる。
勢いのある分野のCFPは、案外あっさりしている。"Submissions on the following topics are welcome:"とだけ書いて、トピックリストが続く。誰も「重要」とか「画期的」とか書かない。なぜなら、書かなくても投稿が来るからだ。
逆に、静かに衰退している分野ほど、CFPの修辞は高熱になる。架空の例で言えば、こんな具合だ。
"The 17th International Workshop on Symbolic Reversible Modeling (ISRM-W'26) returns at a pivotal moment for the community. With renewed industrial interest and emerging cross-disciplinary opportunities, the workshop seeks bold contributions that will reshape the foundations of the field."
「ピボタルな瞬間」「再び高まる産業界の関心」「分野の基礎を作り直す大胆な貢献」。読んでいて、私はふと前年度のCFPを引っ張り出してきた。前年も同じような文面だった。「at a pivotal moment」と書かれていた。一昨年のCFPもそうだった。10年連続でピボタルな瞬間が続いている分野がある。10年連続でピボタルなら、それはもうピボタルではない。
「重要な転換点」は二重に売られている。一つは、応募者に対して。「いまが書きどきです、いま投稿してください」。もう一つは、会議そのものの存在意義に対して。「この会議はまだ重要です、来てください、登録費を払ってください」。同じ一文が、応募者と会議自身の両方に向けて使われる。CFPの修辞が高熱なほど、会議は自分の体温を確かめている。
これはカスケードポエムで見た「補填」だ。中身が弱いほど、形容詞が増える。ただしCFPの場合、補填されているのは研究の中身ではなく、会議そのものの中心性である。
CFPの文体には、もうひとつ目立つ癖がある。誰も主語を名乗らない。
"Authors are encouraged to submit original research papers."
"Contributions are sought in the following areas."
"Proposals will be considered for inclusion in the special track."
「著者は投稿を奨励される」。「貢献は求められる」。「提案は検討されるであろう」。すべて受動態だ。誰が、誰に求めているのか。誰が奨励しているのか。誰が検討するのか。書かれていない。
受動態の効用は、主語を隠せることだ。「会議の運営委員12人が、〆切までに最低80本の投稿が集まることを必要としている」と書けば、それは事実なのだが、釣り糸としては機能しない。「Authors are encouraged」と書けば、奨励の主体は雲のように上空に消える。雲が奨励しているのだから、応募者は雲に応えればよい。雲は採択もリジェクトもしない。雲はただ、奨励する。
これはポエマイゼーションの「蒸発」に近いが、少し違う。CFPで蒸発しているのは中身ではなく、制度の手触りだ。会議には予算がある、運営費がある、登録費がある、編集者がいる、政治がある、派閥がある——その手触りが、受動態の中で全部蒸発する。残るのは、雲のような奨励と、応募者の姿だけだ。
朝のコーヒーが完全に冷めた。私は受動態のCFPを23通連続で読んで、誰にも招かれていないのに自分から行くパーティを23回連続で見せられた気分になっていた。
CFPの中ほどには、必ず「Topics of Interest」というリストがある。トピックを並べる場所だ。これがまた、独特の文体をしている。
"Topics of interest include, but are not limited to:
- Foundations and theory at the intersection of A and B
- Emerging trends in C-aware D systems
- Novel applications and case studies
- Ethical, societal, and human-centered perspectives"
"include, but are not limited to" ——「これらに含まれるが、これに限られない」。何でもいいですよ、というポーズだ。しかし実際にCFPに書かれていないトピックを書いて投稿すると、たいていリジェクトされる。だから "not limited to" は事実上の嘘である。限られている。
そして、書かれているリストの言葉づかいに注目したい。「intersection of A and B」「emerging trends in」「novel applications」「human-centered perspectives」。これらは、テーマを開いているように見えて、論文の枠を閉じている。
たとえば「intersection of A and B」と書かれていれば、Aだけを扱った論文も、Bだけを扱った論文もリジェクトされる。「intersection」と書かれた瞬間、Aだけのまっとうな研究は、この会議では「scope外」になる。「emerging trends」と書かれていれば、地味で着実な研究は弾かれる。emerging でない研究は scope外だ。
CFPの「Topics of Interest」は、「興味あるトピック」ではなく、受け入れる論文の様式書きである。応募者は、自分の研究をその様式に合わせて整形する。Aだけの研究を持っていても、無理やりBを少し足して「intersection」にする。地味な改善を持っていても、何かを「emerging」と呼び直す。
これは「変装」だ。ポエマイゼーションの6つの操作のうち、最も応募者の側で起きる操作。CFPは応募者に変装を促す型紙を配り、応募者はその型紙に沿って自分の論文を裁断する。
CFPの末尾には、しばしばこう書かれている。
"A Best Paper Award and Best Student Paper Award will be presented at the conference. Selected papers will be invited to a special issue of [Journal Name]."
受賞すれば「分野を代表する若手」と紹介される。受賞しなければ「投稿者」と呼ばれる。同じ著者を、二つの肩書きで括る制度設計だ。
面白いのは、CFPが配布される時点では、Best Paper はまだ存在しないということだ。論文がまだ書かれていない、投稿もされていない、査読も済んでいない。それなのに、Best Paper Award の存在は確定的に予告される。「will be presented」。仮定法ではなく、未来形でもなく、絶対の未来として書かれる。
この時間構造は、応募者の心理に効く。応募する前から、すでに「もしかしたら自分が」と思える設計になっている。「Selected papers will be invited」も同じだ。selected されるかどうかは未確定だが、selected されたら invited されるという未来は確定している。応募者は確定した未来の枝の先で、まだ存在しない自分を想像する。
これは「増幅」だ。受賞という枠が、まだ書かれていない論文に対して、すでに権威の影を落としている。権威は実体に先行する。CFPが告知された時点で、その会議の「最優秀論文」は、まだ存在しないにもかかわらず、すでに権威を持っている。応募者はその権威に向かって、まだ書かれていない論文を投げる。
ここで自分の話を書く。
博士課程3年目の冬、私はあるCFPに応答する論文を書いた。会議の名前は伏せるが、CFPの冒頭はこんな文面だった。「emerging trends at the intersection of formal methods and machine learning」。私の研究は形式手法寄りで、機械学習の要素は薄かった。intersection というには、片足しか置いていない研究だった。
それでも、応募した。Coverletter の冒頭はこう書いた。
"We believe our work directly addresses the central theme of the workshop, situated at the intersection of formal verification and learning-based reasoning, and contributes a novel perspective on emerging challenges in this rapidly evolving area."
いま、これを書き写していて、自分の文体ではない、と思う。「we believe」「directly addresses」「central theme」「novel perspective」「rapidly evolving area」——全部、CFPから返送された言葉だ。CFPに書かれていた語彙を、CFPに向けて、そのまま投げ返している。会議が自分自身に書いた文を、私が代筆している。
そういう文体で書かないと、scopeに合っているように見えない。scopeに合っているように見えないと、デスクリジェクトになる。だから書く。書きながら、これは自分の研究を説明する文ではない、と気づいている。気づいているが、書く。
結果は採択だった。会議で発表し、Best Paper はもらえなかったが、最終日のレセプションで運営委員の一人に握手された。「面白い contribution だった」と言われた。ありがとうございますと答えた。CFPと私の応答文と運営委員のお世辞、三つが同じ語彙圏にいた。私たちは三人で、誰も主語ではない場所で、同じ雲の下にいた。
23通のCFPを読み終えて、コーヒーは冷め切っていた。
気づいたことがある。CFPは応募者に向けて書かれているように見えて、実は会議が自分のために書いている独白だ。「我々は重要である」「我々はピボタルな瞬間にある」「我々の分野は次の10年を定義する」——これらは、応募者を説得する言葉ではなく、会議が自分にかける呪文に近い。応募者はその独白を成立させるための聴衆である。
聴衆がいなければ独白は成立しない。だからCFPは送られる。応募者が論文を書き、応募し、採択され、登壇し、登録費を払う——その一連の儀式が、「我々はピボタルである」という独白を毎年補強する。会議は応募者を必要としているが、それは中身を必要としているのではない。独白を成立させる聴衆を必要としている。
応募者の側もこれに気づいていないわけではない。気づきながら、応募する。応募しないとキャリアに穴があく。だから、雲のような奨励に応え、雲のような審査を受け、雲のような採択通知を待つ。私もそうしてきたし、これからもそうする。
学会発表のポエムでは、論文の中の言葉を見た。カスケードポエムでは、論文が外に出る道筋を見た。今回は、論文がまだ書かれていない時点で、すでに語彙が配布されているという話だった。語彙はCFPで配られる。応募者はそれを受け取って、自分の研究を書き直す。書き直された研究は、また別のCFPで使い回される。CFPは語彙の配給所であり、回収所でもある。
23通目を閉じた。次のCFP受信は、たぶん夕方だろう。私はそれもまた、コーヒーをいれて読むだろう。読みながら、自分が独白の聴衆を続けていることを、ぼんやり知っている。聴衆をやめる選択肢はあまりない。やめると、独白も止まり、独白に応えていた自分の研究も止まる。独白の中にしか、自分の論文の置き場がない。それが、いまのところの観察だ。
コーヒーを淹れ直す。受信箱を更新する。新しいCFPが2通届いている。両方の冒頭に、どこかで見たことのある「critical inflection point」があった。
書き手・フジワラレン(研究助手)