営巣の、春
巣を作らせない仕事と、作られてしまった巣のこと

ハットリチアキ(41歳・空港のバードパトロール11年)

春になると、空港のあちこちで鳥が巣を作ろうとする。誘導灯の架台、格納庫の梁、滑走路灯の周りの草地。生き物が新しい命を育もうとする季節のいとなみは尊いものだが、空港という場所では、その尊さがそのまま危険になる。私の仕事は、巣を作らせないことだ。

巣はできてから探すのでは遅い。だから春のパトロールは、鳥そのものより、鳥の口元を見る。枝や枯れ草をくわえた鳥が、同じ場所へ二度三度と往復していたら、そこが狙われている。先輩は「巣材を運ぶ鳥を見たら、巣を見たのと同じだ」と言った。まだ何もない架台の上に、私は未来の巣を見る。

狙われやすい場所は決まっている。誘導灯の架台は、雨をしのげて見晴らしがよく、地上の獣も届かない。鳥にとっては一等地だ。だから営巣期には、架台を一つずつ点検して回る。枯れ草が一筋、ボルトの間に挟まっているだけで、その日のうちに取り除く。まだ巣とは呼べない、ほんの数本の草。それを抜くのが、いちばん楽な保護なのかもしれない。

それでも、作られてしまう巣はある。点検の網をくぐって、格納庫の梁の上に、いつの間にか巣ができている。卵が入っていることもある。こうなると、ただ取り除けばいいというものではない。卵のある巣をどう扱うかには規程があり、許可がいる。私の一存で、温まりかけた卵を地面に落とすことはできないのだ。

規程を読み、許可を待ち、撤去の時期を判断する。その間も、親鳥は梁に通ってくる。私は双眼鏡で、その往復を数えながら、書類が下りるのを待つ。命を相手に書類を待つというのは、どこか切ない時間でもある。けれど、空の安全と一つの巣とを天秤にかけるのが、私の仕事なのだと思う。

いちばん難しいのは、ヒバリだ。梁や架台と違って、ヒバリは草地の地面に巣を作る。上から見ても草に紛れて分からない。草刈りの季節と営巣の季節が重なると、刈り払い機が巣をそのまま刈ってしまう。だから営巣を見つけた草地には、棒を立てて印をつけ、その一画だけ草刈りを避ける。あるいは——営巣が始まる前に、先に草を刈ってしまう。鳥が巣を作る場所を、作る前になくしておくのだ。

印をつけて守るか、先に刈って作らせないか。守るために、巣を作らせない。この逆説に、私は毎年立ち止まる。けれど結局のところ、予防こそが一番の保護なのだ。巣ができてしまえば、撤去するにせよ守るにせよ、誰かが傷つく。作られる前に場所をなくしておくほうが、鳥にとっても優しい。そう自分に言い聞かせて、私は営巣期の前に草刈りの日を決める。

夏になると、空港は静かになる。営巣の季節が終わり、梁の上の巣は空になる。私は脚立を立てて、空になった巣を一つずつ点検し、撤去していく。来年また同じ場所に作られないように。空の巣を手のひらに乗せると、それは思いのほか軽い。命の重さとは、こういうものなのかもしれない。

同じ春、空港のフェンスの外では、電柱の上のカラスの巣を、近所の誰かが見守っているらしい。子どもが毎日見上げているという話を聞いた。空港の中では追われる巣が、外では見守られている。同じ鳥が、線一本の内と外で、まったく違う扱いを受ける。生き物の営みを、どう扱うかは、人間の側の事情で決まる。そのことを、私はこの仕事を通じて知ったのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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