チョウノミナト(39歳・タグボートの船長17年)
今は若手に舵を持たせる立場だ。自分で当てるなら、半呼吸先に手が動く。人に押させて見ているときは、その半呼吸が来ない。スロットルに手を添えそうになるのを、その都度引っ込める。当て損なって冷やりとするまで、私はたいてい何も言わない。
最初に任せるのは、沖での追走だ。広い海域で大きな船の後ろにつき、距離を保ってついていく。岸壁でも、狭い隙間でもない。しくじっても、すぐ事故にはならない。船尾を当てる本番は、その後だ。追走、横づけ、空荷、満載——失敗が事故にならない順に渡していく。私が自分の体で覚えた順番が、そのまま渡す順番になっている。
追走のあいだ、私は新人の手の甲の上に、手のひらを浮かせている。一年目には、二センチほど。手の甲の毛が動けば触れるくらいだ。三年目には、握りこぶし一つ分まで上げる。それでも間に合う、という距離まで。手を出すのが早ければ、その人はいつまでも自分の手で覚えない。遅ければ、船が危ない。浮かせた手のひらの高さが、私がその人をどれだけ信じているかの目盛りだった。
無線も、聞かせて、復唱させて、最後に渡す。マイクを握った若手の最初の一声は、半音高い。「右舷後方、押し方ようそろ」——語尾が上ずって、復唱が一拍遅れる。私はマイクの横で口を出さない。三度、四度とやるうちに、声が下がってくる。下がりきったところが、本番に出せるところだ。
当て損なって冷やりとした後の話し方は、決めている。責めない。責めれば、次から手が縮む。代わりに、どの手順のどこで遅れたかを、一緒に戻る。「あそこで半呼吸、待てたか」。冷やりで済んだのは運ではない。どこかの手順が効いていた。失敗を、手順の言葉に置き直して返す。怒鳴ったりはしない。
私の一年目、同じ場面で船長は怒鳴った。「何やってんだ、戻せ!」。操舵室に声が響いて、私は首をすくめて舵を切った。今、同じ場面で私が言うのは、「半呼吸、待てたか」の六文字だ。怒鳴り声と、私のひとこと。どちらが覚えやすかったかは、私には分からない。怒鳴られて覚えたことも、確かにあった。二つを、ただ並べて置いておく。
先日、ひとりが初めて一人で巨大船に押し当てた。船尾寄り、浅い角度。三つ数えて効き、頭が思った側へ振れて、効き過ぎる前に逆へ当てて止めた。私は何も言わなかった。手を出さずに済んだのに、操舵室で足の置き場がなかった。さっきまで手のひらを浮かせていた場所に、もう浮かせるべき手がない。その晩、私は眠れた。当て方がうまかったからではない。危ない兆しを、危なくなる前にあの子が自分で消したのを、見たからだ。