新人の、舵
若手に舵を持たせる日

チョウノミナト(39歳・タグボートの船長17年)

教える側になった。十七年乗って、今は若手に舵を持たせる立場だ。自分が押すより、人に押させて見ているほうが、よほど神経を使う。背中で教える、とよく言うけれど、本当に難しいのは、口を閉じていることのほうなのだと思う。

最初に任せるのは、広い海域での追走だ。沖で大きな船の後ろにつき、一定の距離を保ってついていく。岸壁ではない。狭い隙間でもない。仮にしくじっても、すぐ事故にはならない場所から持たせる。失敗が事故にならない順番というものがあって、私はその順番を、自分の体で覚えた順に渡している。

難しいのは、手を出すタイミングだ。早すぎれば、若手はいつまでも自分の手で覚えない。遅すぎれば、船が危ない。私はスロットルに手を添えそうになるのを、何度も止める。新人の手の甲のあたりに、自分の手のひらを浮かせたまま、当てる瞬間を待っている。たぶん、これが指導というものなのだろう。

自分の一年目を思い出す。あのころは、操舵を間違えれば怒鳴られた。船長の声が操舵室に響いて、私は首をすくめながら舵を切った。今、私は怒鳴らない。世代が変わったのだと言う人もいるけれど、私はそれを、良い悪いの話にはしたくない。ただ、私が選ぶ言葉は、あのころ私に降ってきた言葉とは、少し違うというだけだ。怒鳴られて覚えたことも、確かにあったのだから。

無線も、少しずつ任せる。最初は私がパイロットと交信し、若手は横で聞いている。次に、復唱だけをやらせる。それから、本番のやり取りを渡す。マイクを握った若手の最初の一声は、たいてい少し高い。声の緊張は、こちらにもまっすぐ聞こえてくる。私はマイクのそばで、口を出さずに、その声が落ち着いてくるのを待っている。

ヒヤリの後の話し方には、作法がある。当て損なって冷やりとした後、私はまず、若手を責めない。責めると、次から手が縮こまる。代わりに、どの手順のどこで遅れたかを、一緒に戻って確かめる。「あそこで半呼吸待てたか」。事故にならなかったのは運ではなく、どこかの手順が効いていたからだ。失敗を、手順の言葉に翻訳して返してやる。それが私のやり方だ。

一人前かどうかの基準は、私の中では一つしかない。その若手に任せて、自分が安心して寝られるかどうかだ。当て方がうまいかではない。危ない兆しを、危なくなる前に自分で消せるか。そこを任せて夜眠れるようになったとき、その人はもう一人前なのだと思う。任せて寝られるのが、一人前なのだ。

先日、ひとりの若手が、初めて一人で巨大船に押し当てた。船尾寄り、浅い角度。きれいに頭が振れて、効き過ぎる前に逆へ当てて止めた。私は何も言わなかった。ただ、自分の足の置き場がなかった。手を出さずに済んだ嬉しさと、もう私の手は要らないのだという寂しさが、同じ場所に立っていた。教えるとは、自分が要らなくなっていく仕事なのだと、いまでは思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。