発想の芯は悪くない。「高級色は値札より先に文化へ触れる」という導入には、観察から論へ跳べるだけの推進力がある。だが現稿は、白・金・象牙色を順に配して地域差へ広げ、最後に「願望の色見本帳」へ回収する運びがあまりに整いすぎていて、読者の驚きより既視感が先に立つ。具体物をほとんど見せず、文化論めいた比喩で滑らかにつないでいるため、エッセイというより要領のいい総説に読める。
白は最も国差が激しい。/ゴールドは、どこでも豊かさの記号に見えて、由来はかなり違う。/象牙色はさらに興味深い。/広告画像を地図にして眺めると
導入で「色は文化を露出する」と言った時点で、次に白が来て、次に金が来て、最後に地図化して総論に戻ることがほぼ読めてしまう。論の整理はできているが、エッセイとしては従順すぎる。途中で一つ反例を刺すか、あえて一色に粘着するほうが、文章の生体反応は出る。
高級色とは色名の問題ではなく、記憶の配色である。/意味が逆流する。/天井高の感覚を伴う。/願望の色見本帳なのだ。
こういう言い回しは一つなら効くが、これだけ並ぶと「うまいことを言う装置」に見える。しかもどれも触れれば手ごたえがない抽象句なので、読後に残るのは知見ではなく雰囲気だけだ。比喩を削るのではなく、一つだけ残して他は観察で持たせるべきだ。
寄りやすく/残り/多い。/なりにくい。/転ぶ。/落ちやすく/見える。/なりやすい。
断定調の構えを取りながら、文末ではずっと逃げている。調査対象が限定されているなら限定を先に置いて断言すべきだし、断言できないなら「国差が激しい」と大きく振りかぶるべきではない。慎重さではなく、腰の引けた一般論に見える。
広告の画面で「上等」がどの色に着地するかを見ると/広告画像を地図にして眺めると
見たと言うわりに、何一つ見えてこない。どのブランドの、どの媒体の、どの余白で、どの光沢で、白が青に寄っていたのか黄に寄っていたのか、金が箔なのかマットなのか、そういう像が皆無だ。比較文化論を名乗る前に、まず一枚の広告を執拗に見た痕跡を出したほうがいい。
中国や韓国では/インドでも/欧米では/湾岸諸国では/タイやミャンマーでは/北欧では/東アジアは/南アジアは/中東は
国、地域、宗教圏、生活圏の粒度が段落ごとにバラバラなのに、全部同じ精度で言えてしまっているのが危うい。ここまで広げると比較ではなく圧縮になり、文化差ではなく文化ステレオタイプの陳列に近づく。対象を三地域程度に絞るか、逆に「高級分譲マンション広告」「婚礼広告」など媒体と業種を固定したほうが筋が立つ。
白は無垢の色ではない。/金は量ではなく、どの歴史に照らされているかで品位が変わる。/色は飾りではなく、産業ごとの身分証になる。/高級とは普遍的な明度ではなく
各段落が毎回「その色の本質をひっくり返す名言」で締まるので、手つきが同じに見える。読者は三段落目で機構を見抜いてしまい、内容よりリズムの反復を読むようになる。象徴を語る段落、制作上の操作を語る段落、例外を語る段落と、役割をずらしたほうが持つ。
高級色とは色名の問題ではなく、記憶の配色である。/色は飾りではなく、産業ごとの身分証になる。/広告は商品の説明書である前に、各国が抱える願望の色見本帳なのだ。
このあたりは、建築でも香水でも食器でも、そのまま別の原稿に移植できてしまう。つまりこの文章に固有の抵抗がない。固有名詞、失敗例、例外、嫌な手ざわりのどれかを入れて、文をこの原稿から剥がせなくする必要がある。
高級とは普遍的な明度ではなく、その社会が人前に出したい時間の色である。広告は商品の説明書である前に、各国が抱える願望の色見本帳なのだ。
きれいに閉じすぎている。しかもこの高みに逃げる結びのせいで、途中で荒く置いた地域差や業種差の雑さまで「詩」として免責されてしまう。結論は赦しではなく、いちばん説明しきれなかった矛盾を一つ置いて終えるほうが、文章の信用は上がる。
残すべき核は、「高級感は色そのものではなく、その社会に沈殿した記憶の呼び出し方で決まる」という一点だけでいい。ここは強いので、白・金・象牙色を全部均等に扱うのをやめ、たとえば白だけに絞って、日本の住宅広告、中国の慶事広告、西欧のブライダル広告という三つの具体例で押し切るほうがはるかに深くなる。比喩は一つに絞り、地域の大づかみな総括は削り、代わりに一枚の広告の余白、紙質、光、語彙をねちっこく見ること。総論を捨て、観察の局所熱で勝つべき稿だ。