タカハシセイイチ(家計アドバイザー)/『お金の慣用句 — 直観と複利のあいだ』#4
退職金一時金の振込通知をクリアファイルに入れて、65歳の男性が相談室に来た。大学ノートを開く。表紙に黒いマジックで「資産配分」と書いてある。中の見開きに、自作の円グラフが鉛筆で描かれていて、放射状の線で7つに区切られていた。日本株、米国株、債券、ゴールド、現金、不動産、ビットコイン。各切れ端の角度がほぼ等しい。ビットコインの一切れも、現金の一切れも、面積として同じだ。「とにかく分散しないと危ないですよね」と彼が言う。私は「その通りですね」と返した。返した瞬間、自分が何の顔をしたのかが、手元の感覚として分かった。
同じ字で売られている二つの商品——「分散」というこの一語のなかに、別の効能が二つ入っている。一つは数学のほうの効能。期待リターンを保ったまま、ポートフォリオ全体のブレ幅が縮む。マーコビッツの本に書いてあるほうの分散だ。もう一つは気分のほうの効能。棚が複数あれば、下がっている棚から上がっている棚に視線が移せる。負け銘柄の存在感が薄れる。後者は教科書には載っていない。
客は後者を買い、私は前者を売っている——商談の最後に客が「分散して安心しました」と言い、私は相談シートに「期待効率を改善」と書く。同じ単語が両側の満足度を別々の場所で支えている。客と私が同じ漢字で握手しているが、握手した手の中身が違う。
面積として均等——男性の円グラフに戻る。期待リターンも標準偏差もまるで桁が違うはずのビットコインが、現金や債券と同じ角度を占めている。彼にとって7つは7つで、面積が等しいことが「分散している」という実感の本体になっていた。数学のほうから見れば、この一切れだけが全体のブレ幅を支配している。それでも見た目は均等で、見た目どおりに安心が返ってくる。気分のほうの分散は、棚の数と面積で完了する。
無効な分散ほど客に好かれる——日本株、米国株、リート、と並べても、世界同時下落の局面では値動きはたいてい同じ方向に揃う。数学のほうの分散効果は、思ったほど出ていない。ところが棚の数は減らない。気分のほうの分散は、相関係数を一切参照せずに棚の数だけで満たされる。だから、効いていない分散ほど、客の満足度を下げない。むしろ、銘柄の数が多いだけ、相談シートが完成度高く見える。
私はこの混線で食べている——書きながら、いま自分が何をしているかを書かないわけにはいかない。私の月給は、客に7つの棚を勧めて、月に一度それらの上下を一覧で送ることで立っている。報告書は棚ごとに色分けされ、合計の損益が一行で出る様式だ。客は色の数を見て安心し、合計を見て一喜一憂する。色の数が安心を運んでいると気づいてからも、私は様式を変えていない。様式を変えれば、棚が減る。棚が減れば、私の仕事の太さが目減りする。
いま目の前の彼にも訂正していない——「ビットコインのところは、どのくらいがいいですかね」と男性が訊いてくる。本来なら、その一切れだけが全体のブレ幅をほぼ決めている、という話を先にすべきだ。あるいは、彼が買おうとしているのが商品のほうの分散なのか気分のほうの分散なのか、を尋ねるべきだ。私はそうせず、「他とのバランスを見ると、5%から10%が一般的ですね」と答える。「一般的」という語が、私が今日この場で逃げに使った語だ。
男性はうなずいて、ビットコインの欄に「8%」と書き込んだ。残り92%を六つに割り直すために、彼は他の数字を消し始める。私は次の銘柄の話に進む準備をしている。彼の鉛筆は止まっていない。私のペンも、止まっていない。