タカハシセイイチ(家計アドバイザー)/『お金の慣用句 — 直観と複利のあいだ』#6
七十代後半の男性が、毎月分配型の運用報告書をクリアファイルから出して、机に広げた。「配当でお小遣いになるんだよ、孫に」と笑う。同じ報告書の裏面には基準価額のグラフが載っていて、購入時の一万円台から右肩下がりに落ちていた。彼はそちらを一度も見ない。私も、こちらから見せには行かなかった。
配当落ちという仕組み——分配金を出す日、基金は同額ぶん中身が薄くなる。基準価額が分配相当だけ下がる。これは経理上の事実で、運用がうまくいったから配当が出るのではなく、出した結果として基金が小さくなる。「もらった」のではなく、「自分の一部を、自分から受け取った」というほうが構造に近い。
嬉しい、は受動の感情——「嬉しい」という語は、外から何かが来た瞬間にしか発火しない。誰かから贈られた、運が良かった、勝ち取った。自分の貯金を自分の口座に振り替えたとき、人は嬉しいとは言わない。配当が嬉しいということは、それが「外から来たもの」として感じられているということだ。経理の事実と、感情の構文が、ここで一度ねじれる。
三条件で贈与に化ける——定期的に来る、金額が予測できる、宛先が自分。この三つが揃うと、人間はそれを贈与として処理するようにできているらしい。同じ金が不定期で出入りしていれば、ただの残高変動で終わる。三条件を整える運用商品は、感情の側に「もらった」という構文を起こさせるための形式を整えていることになる。
給与と同じ回路に乗る——三条件は給与の特徴でもある。月末、ほぼ同額、自分の口座。給与は労働の対価で、配当は何の対価でもない。にもかかわらず、受け取り側の脳は両者を区別していないように見える。客が「お小遣いになる」と言うとき、それは比喩ではなく、実際にその金が小遣いとして処理されている。働いていないのに給与の入る回路が一本、人生の終盤に開通している。
税金は前払い——分配金には毎回、源泉徴収がかかる。同じ金額を基金の中に置いたまま育てれば、課税は売却時まで先送りされ、それまでの間は税ぶんも複利の対象になる。配当として外に出すたびに、その複利の枝を一本ずつ切っている。「嬉しい」の対価として、見えない伸びしろが手数料以外のところでも削られている。
こちら側の事情——書きながら認める。私は窓口で、客が分配金に喜ぶ姿を歓迎してきた。喜んでいる客は、解約しない。継続率が上がる。継続率は私の評価表に直接乗る。客の感情と私の業務指標が、配当の三条件をはさんで同じ向きを向いている。これを指摘して回ることは、自分の評価を一段下げることを意味する。
言い換えてみる——「配当があると嬉しい」を、構造に忠実に書き直すと、「自分の基金から、自分宛てに、自分の金を、定期で取り崩している」になる。意味が萎んだように見える。萎んだぶんだけ、元の文に乗っていた贈与感の量がわかる。「もらえた」は、文法が起こしている錯覚であって、財布の中の事実ではない。
男性の話に戻る——孫に小遣いをやる、という用途は本人にとって動かしがたい。基金が痩せていく事実を見せても、彼の机の上では「孫に渡せる」という事実のほうが重い。私はその日、グラフのほうの頁はめくらなかった。めくるべきだったかは、いまも判断がついていない。判断がつかないまま、次の客が来た。
——補記:この第一稿は公開後に辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。3稿を並置しています。