ドヒカナデ(32歳・点字図書館の点訳校正員10年)
受付簿に、受付日を書く。墨字の本が点字の一冊になるまで、点訳に三か月、校正に二人がかりで一か月、プリンターで打って製本にもうしばらく。受付日と完成日の間が、その本の時差だ。机のいちばん上に積まれた校正紙は、半年前に受け付けた小説で、墨字ではもう文庫になっている。
ベストセラーは、受付簿に同じ書名が何行も並ぶ。墨字なら書店に積まれている一冊を、ここでは一つしかない訳す手が引き受ける。話題の本ほど、その下に書名の行が増える。先月の人気作は、受付簿に七行あった。訳せる手は、一組だ。
何を先に訳すか。月に一度、優先順位の会議で受付簿を回す。資格試験の参考書には試験日があって、そこに間に合わなければその人にとって本でなくなる。だから締め切りのある本が先に出る。娯楽の小説は半年待っても物語は変わらないから、後ろに回る。先月の会議で、宅建の参考書一冊が、人気の長編小説七行を追い越した。追い越された七行に、私は「次回」と書き足した。
新しく訳す本は、まずサピエに登録する。全国の点字図書館がつながった目録で、「この本は当館が訳します」と宣言する欄だ。誰かが先に登録していれば、二つの館が同じ本を訳す無駄が消える。私は毎朝、受付簿の書名をサピエで引く。先週、受付簿の一行をサピエで引いたら、四百キロ離れた館がすでに着手していた。私はその行に線を引いて、利用者には「他館の完成本をお取り寄せします」と伝えた。一冊を、誰の手が訳すか。それを毎朝つき合わせる。
「この本、まだですか」。電話が鳴る。半年前に受け付けた小説の進み具合だ。受付簿を繰って、今は校正の二回目です、と答える。来月とは言わない。校正で誤りが見つかれば点訳者に戻り、その分また日が延びる。受話器の向こうが黙る。墨字ではもう文庫になった本を、その人は単行本で受け付けたまま待っている。
近ごろは自動点訳の精度が上がった。墨字のデータを読ませると、機械が点字に変換する。速い。けれど先週は、人名の「日向」を機械が「にっこう」と打っていた。先々週は、長音符を一つ落として「コーヒー」が「コヒー」になっていた。固有名詞とルビで、機械はまだ一粒をまちがえる。だから吐き出された点字を、私は結局すべて指で送って確かめる。機械が速くなったぶん、確かめる紙の束は厚くなった。
流行が過ぎてから完成する本がある。話題が去り、世間が次の本の話をしているころ、点字版がようやく棚に並ぶ。先月完成した昨年の話題作は、受付簿に七行あったのに、完成してからの貸出記録が二行で止まっている。リクエストした七人のうち五人は、待ちきれずに墨字の朗読音源で読んでしまったのだと、あとで一人が教えてくれた。流行を追って受け付けた本ほど、完成したときには列が短くなっている。
受付簿のいちばん古い行に印をつけて、私は電話をかける。「お待たせしました、できあがりました」。受話器の向こうから返ってくるのは、たいてい三文字だ。「待ってました」。半年待った人の、一年待った人の声だ。私はその行に完成日を書き、受付日との間の日数を、数えない。
今日も受付簿に、新しい書名が一行増えた。墨字では先週出たばかりの本だ。サピエでまだ誰も登録していない。私はその行の横に受付日を書いて、次の会議の優先順位の山に積む。机の上には、半年前に受け付けて、墨字では文庫になった本の校正紙が、まだ二回目を待っている。