指先の、誤植
点訳校正員一年目、目で読むのをやめた日

ドヒカナデ(32歳・点字図書館の点訳校正員10年)

点字図書館で点訳校正の仕事を始めて、もう十年になる。一冊の墨字の本が点字の本になるまでには、何か月もかかる。ボランティアの点訳者がまず墨字を点字に訳し、それを校正員が二重に確かめる。私はその、二度目の指になる人間だ。指先には、いつも読むべき六つの点がある。

点字は、縦三つ・横二つに並んだ六つの点でできている。その点の、出ているか出ていないかの組み合わせで、すべての文字を表す。「あ」は一番上の点ひとつ。「め」は、それに一点足しただけ。たった一点の違いが、まるきり別の音になる。墨字の世界の誤植が、点字の世界では、もっと静かに、もっと深く起こる。

入った年の春、二〇一六年のことだった。窓の外にはやわらかな春の光が差し込んでいて、点訳室には紙とインクの匂いが静かに満ちていた。私の机には、点訳者から上がってきたばかりの随筆集の校正紙が積まれていた。指でなぞると、点の連なりが小さな砂のように、指の腹を押し返してくる。私はその感触に、しばらく心を奪われていた。

私の指導役は、先輩の校正員だった。生まれつき目の見えない方で、点訳校正の世界では二十年のベテランだった。私は最初、目で点を確かめていた。形を見て、六つの点の配置を読み取り、文字に直す。それが速いと思っていた。先輩は私の隣で、私よりずっと速く、紙を指で送っていた。

その日、私はある一文字を見落とした。「あ」と打つべきところが「め」になっていた。一点、多かった。目で見れば、点の数は数えられる。けれど私は、形の全体をぼんやり眺めて、数え損なっていたのだ。先輩は同じ箇所を指で通って、一度で止まった。そして言った。「目で読むな。指で読め。目は形を見るけど、指は並びを読む」。

その言葉は、私の胸に深く刻まれた。目は、点字を「絵」として見てしまう。点が六つ、四角く集まった模様として。でも指は、絵を見ない。指は、左から右へ、一つずつ、点があるかないかを順番にたどっていく。並びを、時間として読む。先輩が見落とさなかったのは、先輩が点字を、目の人間とはまるで違う順序で読んでいたからだった。

点字には、分かち書きというものがある。墨字の日本語は単語をくっつけて書くけれど、点字は単語の切れ目に空白を入れる。「ははとはなし」を「はは と はなし」と切る。どこで切るかで、読みやすさがまるきり変わってしまう。それから、数を表すときの数符、アルファベットを表すときの外字符。符号ひとつの付け忘れで、文字の意味する世界がそっくり入れ替わる。点訳とは、そういう細い橋を、何度も渡り直す仕事なのだと思う。

その本が点字図書として完成し、登録された日のことを、私はよく覚えている。点字プリンターが、点を一つずつ紙に打ち込んでいく音。タン、タン、という規則正しい打刻音が部屋に響いて、一冊の本が指で読める姿になっていく。私はできあがった本を手に取って、最初のページを指でなぞった。あの「あ」と「め」のページを。今度は、間違っていなかった。

あれから十年。私は数え切れないほどの校正紙を、指で読んできた。校正とは、誤りを見つける仕事だと思われがちだけれど、本当は、見える世界と見えない世界のあいだに橋をかける仕事なのだと、いまでは思う。あの春の日に教わった「指で読め」という言葉が、私をいまの私にしてくれた。指先には、今日も、読むべき六つの点が灯っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。